って、聞かれたわけではないけど。。。
ありがちな「インターネットで情報は十分手に入るから雑誌なんて不要」なんて浅い理由ではありません。なんとなく読まなくなった、のです。
昔は3誌とも買っていたんだけれども、ある時、買うだけ買ってぜんぜん読まなくなったことに気がついた、なので、買わなくなった、それだけ。もうかれこれ6,7年以上昔のことです。
それでも浦島太郎にならずにすんでいるのは、まあ、パソなんとかとかインターなんとかとか、いやそんなもの以上に、それなりの星関係の人づきあいのおかげかなと思ってます。
まだ空き地と駐車場が多いんですよね。
3月ごろ打ち上げの予定ですが、今回はいつもと違って、情報はかなり制限される気がします。
いやもう既に制限されているか。デイリーレポートなりカウントダウンのページが未だ開設されていない、そもそもカウントダウンの予定に5号機がリストアップされていない。
ふん、ウェブログといい、大きいところがやるとすぐ話題にしてくれていいね。。。って、プレスリリースを送りつければいいだけのことか。
例の、ブッシュ米大統領が発表した新宇宙政策のあおりです。HSTの保守はシャトルに依存しているため。新宇宙望遠鏡は今どうなってたっけ。
そのハッブル宇宙望遠鏡(HST)の後を継ぐ次世代宇宙望遠鏡です。2011年打ち上げ予定とのこと。HSTが2007年に引退することになれば、4年以上のブランクがあきます。
★ zunda [JWSTはラグランジュポイントに行ってしまうので、誰かが行って保守するのは難しそうです。 http://www.st..]
豆腐料理を食べに行って、はじめて豆乳を飲みました。
「乳」だから思わず牛の乳を連想したのだけれども*1、全然違って、豆の味がするんですね。考えてみれば当たり前ですが。牛の乳は好きじゃないんですが、豆の乳は悪くないかもしれません。
*1 決して母乳を連想したのではない。
かなり尻尾が延びているという話が某所から。でも今、月がすぐそばにいるような気がします。
太陽活動が非常に活発とのことで、これがマックホルツの活動にどう影響するかしないか、ちょっと面白そうです。
著作権が余計な壁になったりしないんでしょうか。近代だと保護期間を延ばす問題とか。
研修のために西宮まで。「行きにくい場所なので車の方がいい」ということで車で。でも明日から電車にします。いくら想定済みの事でも、渋滞だらけの道中は疲れます。
途中、神戸を通過します。5時46分の黙祷は中継で見ていました。かつて震災をはさんで9年通った街は今は通過するだけです。いや休日にはよく出かけてるのですが、平日は仕事で数回程度行っただけ。当時も、まあ、域外の人だったのですが、今は圏外の人の感があります。愛着のある街ですけど。
帰り道、やはり神戸に差し掛かると、頭の上をヘリコプターが一機、ぐるぐると回っていました。
帰ってくると、テレビからあの曲が流れてきました。
参考情報として、当時の記事を、全部local-group.jp内に保存している内容でまとめました。これも10年の蓄積の成果です。
今日は明石市立天文科学館の月一回の天体観望会の日。
私がもらった資料の整理番号はとても何かを示唆しているようでした。
(写真:1と17の間の点は私が打ちました)
情けないことに、指摘されるまで気がつかなかった。いや指摘されてもすぐには理解できなくて、「117って時報と天気予報のどっちだっけ」とボケをかますという・・・・風化が進んでいます。反省です。
私自身は被災しなかったけれども、当時の勤め先は神戸のど真ん中にあって、同僚にも犠牲者が出たし、2週間の自宅待機と1ヶ月の復旧作業でそれなりに大変でした。
天文科学館もあのときはひどい目にあった。ツアイスが助かったのが何より。
今日の天体観望会は、透明度は悪かったけれども快晴に恵まれて、4階でもM42と金星を楽しんでもらいました。
近隣の人や通りすがりの人に星空を案内する駅前観望会です。
国立天文台名誉教授、公共天文台園長、プラネタリウム学芸員、星のソムリエ数名という贅沢なスタッフが案内役を務めます。
はじめに会議室でお話や工作をした後、市民広場で観望会を実施します。
15年目。
posted at 05:46:26
神戸新聞ブログ「震災15年」1月末まで。 http://bit.ly/6VnSZi
posted at 10:20:42
人工衛星から見た今回の日食の月の影、らしいのですが、どれがそうかよくわかりません。 http://bit.ly/7FdFij
posted at 14:20:02
2009年薩南諸島における皆既日食観測の学習。 http://bit.ly/7CGcdj
posted at 16:05:40
世界天文年2009でスライドショーの画像募集中。応募方法は、Flickrで「International Year of Astronomy 2009」グループに参加し、画像を追加する。http://bit.ly/5UrOSw
posted at 16:08:14
午前5時46分、神戸と淡路の方向を向いて黙祷しました。
あの日寒かったかどうか覚えていません。地震発生から一時間後、情報が無いまま神戸市内の勤務先へ出勤するため家を出て、結局鉄道が止まっているため、自分の街から出られず、勤務先とも連絡が取れず、同僚の家でお昼までニュース番組を見ていました。
翌朝、電話が通じ、同僚の一人が亡くなったことを知りました。
もう一昨年のことですが、やっと、三宮の東遊園地の「阪神・淡路大震災 慰霊と復興のモニュメント(COSMIC ELEMENTS)」に行き、その人の名前の前で手を合わせてきました。行けなかったのではなく単に行かなかっただけですが。前夜眠りに着く前、まさか次の朝、自分はこの世に居ないとは想像もしなかったでしょうね。私も前日まで、二度と会えなくなるとは思っていませんでした。かわいい女性でした。
★ ふくはら [あ、別に、その人に何か特別な思いをもっていたわけではありませんので念のため。]
私のネットブックには117の時報を再現するソフトが入っています。もともとは国際宇宙ステーションの太陽面通過の際の時刻読み上げのためにインストールしたものです。
しかし、ネットブックはほとんど使わなくなっています。使わないWindows PCは、久しぶりに使うとWindows Updateやらがかなり煩わしい。そこで、iOS用の似たようなアプリを探し、iPadにインストールしました。
何のためかというとほとんど今日のためみたいなもの。
毎年の1月17日午前5時46分、いつしか淡路・神戸の方を向いて黙祷するようになりました。117時報アプリは黙祷の時刻を知るため。普通の時計でいいのですが、我ながら変なことにこだわっています。
「17日は震災から7周年でした。」(2002年1月18日)
「1月17日」(2013年1月17日)
私自身直接被災はしていませんが、当時の職場は神戸のど真ん中。同僚にも犠牲になられた人が出ました。天文でいつもお世話になっている明石市立天文科学館も被災して3年2ヶ月休館しました。
3,4日後に初めて現地入り、2週間の自宅待機、業務が再開してから毎日変わり果てた街を歩いて通勤しました。寸断された交通網がつながり、瓦礫が片づけられ、壊れた建物が解体され、再建され、少しずつ復興していく姿を見ていました。とうとう20年が経ちました。
時期を表すのに「震災前」「震災後」という表現を、阪神・淡路大震災以来、私も自然と使うようになりました。「戦前」「戦後」みたいなものです。震災が一つの時代区分になっています。
2006年1月19日(日本時間同20日)に打ち上げられた、冥王星や太陽系外縁天体を探査するニューホライズンズ探査機は、今年7月に冥王星に最接近します。
阪神・淡路大震災に絡んだ自分の投稿をブログで探していて、打ち上げの時の自分のコメントを見つけました。
「New Horizons (2)」(2006年1月20日)
その時まで、この「新着情報」やってるかな。
ええ、やってます。相も変わらず。そして、いま、この記事を読み返して笑っています。
★ さかい [10年くらい前までは天ガをすみずみまで読んでたんですけど、最近は読まなくっても平気ですね。トランジスタ技術は今でも読..]
★ 荒川@Club-HUAA [学生時代までかなぁ、読んでたの。(かれこれ十数年前...)]