実行委員長のマーズウィーク大成功御礼によると、結局、27日は1日で9万件以上のアクセスがあったようです*1。2時間で40万件とえらい差ですが、40万件の方はwc -l access_log
なのでそんなもんでしょう。なんにしろたいした数字です。
「星が好きな人のための新着情報」のアクセス数は9月に入ってから普段の平均値前後にもどりました。多少知名度が上がってくれているとありがたいんですが。
にしても天候に恵まれない大接近です。
*1 アクセスカウンタの値か?
実は8月のはじめの頃にメールをいただいていたのですが、忘れていて紹介が遅れてしまいました。
久しぶりに面白そうなソフトです。ビデオテープの再生画像から検出すこともできるようなので、PCを持ち出せなくても使えますね。
「もしかして、UFOを探すのが目的で作ったんじゃないの?」と、とある人から感想を聞いたのですが、実際、UFO監視にも使えそうですね(^^) 名前も名前だし。でも掲示板を読む限り、かなり真面目に流星観測に挑もうとされているようです。
実は動体検出はもう何年も前に考えていたことはあります。流星観測ではなく防犯が目的でしたが。結局私の頭では箸にも棒にもかかりませんでした。それ以前に、その防犯システムを企画した人が 話をどんどん膨らませていくので、ついていけなくなったのですが。
★ 仕事を早く切り上げて退社しました。ぐずぐずしていると帰れなくなるから、なのですが、既に遅し、鉄道はことごとく止まっていました。どうしようと思っていたら、臨時電車が出るとのこと。らっきー。
★ 最寄り駅に着き、強烈な風にとばされそうになりながらやっとのことで車にたどり着き、帰宅。途中、自転車に乗ったおばさんが、風で転倒していました。無謀ですね。通りすがりの人が大勢駆け寄って助け起こしていたので、車の私はそのまま通り過ぎましたが、大きな怪我というほどではないけれども、足から血を流して痛々しい。
★ 家の近くの川のそばを通ったとき、見たら、川にとめている船が、やたら高い位置にいる! 増水しているのです。やばいかも。
★ 帰ってきてから、雨戸を閉め切った部屋の中でひたすらテレビの台風情報に見入ってました。神戸で高潮で冠水した、とか、広島の方で船が沈没したとか、大変だ。近くの町に避難勧告が出たらしいので、思わず自分の非常持ち出しを点検。
★ 夜も更けてから、風も雨もおさまりました。外へ出てみたら、雲が切れてベガが見えた。
★ また少し風が出てきたので再び雨戸を閉めました。
被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。人や家が流されたり道が崩れたり、その一方で夏じゅう続いた渇水が一気に解決したり、極端です。もう少し穏やかであってくれるといいのですが、やはり温暖化の進行のせいでしょうか。
こちらの地方は直撃を免れたおかげで、一時雨風が強い時間はあったけれども大したこともなく過ぎました。もっとも、ある地区では光ファイバーが切れたりして。
自宅は昼頃に断続的に停電したようです。そのために、local-group.jpにもアクセスできない状態がありました。
の神戸会場(兵庫県内会場の案内を参照)を覗いてきました。
小中高の科学部などがそれぞれに工夫をした様々な実験を体験させてくれます。一例をあげると「遊ぶ電気は自分で起こそう(手回し発電機でぷらレールを走らせたり)」「スーパーボールを作ろう」など。後で実験解説集を見てみると「台所で遺伝子を取り出してみよう」なんてのもあったようです。
砂金掘りのブースは会場の一番奥にありましたが長蛇の列でした。N村さんによれば1時間待ちぐらいとのこと。やはり金は人を引き付ける魅力があるみたいです。そういえば金沢の砂金掘りに付き合ってから何年たったでしょうか。
この頃お城ばっかり巡っている気がしますが・・・・
鎌倉幕府が滅亡して後醍醐天皇による親政が行われた建武年間に播磨の中世豪族赤松氏の一族である佐用範家が築城。のち赤松三十六人衆の福原氏が継いだことで福原城と呼ばれます*1
世間的に有名になったのは、今年の大河ドラマで、秀吉傘下に入った黒田官兵衛が竹中半兵衛と共に最初に落とした城ということからでしょうか。
佐用駅から南西へ1km弱の国道179号線沿いにあります。国道のすぐ側なのですが、わかりにくく、カーナビはもちろんWeb地図でも表示されません(書籍のロードマップなんかだと載ってるかも)。地理院地図で、城跡に建立された福原霊社の神社記号がある程度です。
実際、車で行き過ぎてしまい、引き返して小さな標識を発見。車を停めるのも場所に苦労しました。国道沿いに「P」の標識はあるのですが、道端にかろうじて2台程度停められるスペースです。
城跡への入り口付近。
ただし、国道から城跡に向かう道を少し入ったところに仮駐車場の看板を発見。もっとも、私有地っぽくて、停めていいかどうか躊躇するような場所でした。
秀吉によって落城させられた時の城主福原則尚を祭った福原霊社(前述)は、土塁跡の端に建てられています。
土塁はここを起点に北→東へとL字を逆さにした形で残っており、土塁に囲まれた曲輪、土塁の西側の堀切などがはっきり残っています。前に訪れた三木城よりは縄張りが良く残っている感じでした。
土塁
曲輪の中は今は田んぼに
堀切の跡。いまは道路
福原霊社の参拝者名簿には、「福原」姓の人が結構目立ちました。中国・四国地方では多い苗字だそうですが関西では比較的少なめの姓。苗字と同じ名前の城に関心をひかれたのでしょうか(笑←いや私もそうなんだけど)。
*1 この福原氏は私とは縁もゆかりもありません
★ さかい [アメリカ人のいいわけはロシアには通じずという感じですかね。けっきょく資金の調達ができてないんでしょう。]
★ さけい [新月付近の週末はことごとく曇ってるような気がしてならないです。そもそも新月付近の晴れた日がすごく少ないような気もする..]
★ さかい [自分の字を打ち間違えた(;_;) 名字を辞書登録してないのがバレバレ。]