星見に出かけました。
仲間が一杯集まりました。ドブソニアン3台、シュミカセ2台、ニュートン2台、双眼1台、フローライト1台。うち自動導入2台、ナビゲータ付き1台。口径は最大55cm、最小8cmで、計算した人によれば、口径の合計は249cm。
55cmでフィルターを通してみた網状星雲は見事でした。今年最高の網状星雲だったかな。M57の中心星にも挑戦しましたが無理。さかいさんと「今の知識(というか天体認識力)を高校生ぐらいの時に持っていたらねぇ」などと。
朝には雲が広がり、日曜は午後から雨。タイミング良く晴れてくれて良かった。
Linuxを使うんなら、結局のところ、適当なディストリビューションをみつくろって必要最小限度のソフトウェアだけインストールすればいい、というだけのことなのですが、おそらく対象となるPCが数多くありそうなので、インストールの手順を考えるのが一番重要になるかも。キックスタートなどでネットワークインストール、というあたりになりそうですが、問題のPC、NICはあるのだろうか。PCカード*1だと厄介かな。まだPCの完全なスペックが入手できていません*2
たぶん可能な限りメンテナンスフリーにしなければならないと思われるので、そうなると、Debianぐらいしか選択の余地がなさそうです。
しかしとにかく、今どきのディストリビューションでは、たとえ最小インストールでも厳しそうなPCであることが予想されるのです。で、別の案として、FDベース*3の Linuxシステムで、X が動作するのがあったはず。それをハードディスクに入れてしまうとか。インストーラを用意しなければなりませんが、かなり低スペックでの動作が期待できるか。
姫路城中濠の南側は埋め立てられ、現在は国道二号線の東行きが通っています。ですが、南側を除く他の部分、西・北・東はそっくり濠が残っています。
姫路城といえば内堀の内側に城郭の大部分がありますが、実は中濠の内側がそっくり「特別史跡姫路城跡」に指定されています。
国道二号線の北側に土塁が残っています。ここより北側が中曲輪で侍屋敷が置かれていました。各所にある立て札の記述によれば城の南側に家老など上士の屋敷が、東と北にそれ以外の家臣の屋敷があったようです。
土塁の内側。現在は学校や集合住宅などがあり、二号線の喧噪から一転静かな雰囲気になっています。
大手前通りから国道二号線東行きを西へ向い、土塁が尽きたところで船場川に出ます。土手一つ挟んで内濠が始まります。この土手の上を北へどんどん進みます。
内濠の西側には、南から車門、市ノ場門、清水門の3つの門があります。そのうち一番南にある車門。枡型が2つ連続する二重枡型門という珍しい形の門でした。
実はこの門の間から天守閣が見えます。
門をはいった目の前が駐車場でちょっと無粋。
景福寺山。
播磨国風土記の十四の丘の一つである「船丘」に推定されている山。
途中で絵を描いている人がいました。城を描いているにしては、その位置では建物はほとんど見えない、と不審に思っていたら、城ではなく対岸の民家を描いていました。
ちょっと道をそれてみました。ところどころ古い町屋が残っています。そんなに多いわけでもないのですが。
以前から修理中です。
船場川に鷺がいました。残念ながら白鷺ではありません。
さすがに白鷺だと出来過ぎです。
そういえば架空の豊後関前城の異名は白鶴(はっかく)城でした。白鷺(はくろ)城をもじったかと思ったのですが、実は白鶴城の異名を持つ城は複数実在しているようで。
男山
清水門まで来ると、中濠は二手に分かれます。一方は東へ折れ、姫山原生林とシロトピア記念公園の間を通ります。もう一方はさらに北へ延び、野里小学校の前を通って野里口まで。
どっちに行こうか迷ったのですが、中曲輪の周囲を歩こうと決め、野里小学校方向へ向かいました。
たちまち住宅街に入ります。近所の人がそのあたりで立ち話をしていたり、犬を散歩させる人やら遊んでいる子供やら。観光客がうろついているような場所ではなくなります。お城側の土塁だけが欝蒼と茂って、夏は蚊やら何やら湧いてそうな雰囲気ですが(^^)、でも虫は全然いないようだ。
さらに東へ歩いて行くと県道にぶつかります。ここに野里門がありました。
野里門バス停から北西方向を見る。
ここで中濠はいったん途切れたように見えますが、
野里門バス停から東を見ると、さらに延々と続いています。なんてでかいんだ姫路城。
道路は濠から家一軒分離れているのですが、お濠端は人一人通れるようなので、降りてみました。
土塁の西側は学校と病院が続きます。そっちの方が表通りで、いま歩いている側は言ってみれば裏通り。住宅地が広がった一帯です。やはり観光客が歩くような場所ではない気がします。
東御屋敷跡から見た天守閣
城主の住まいというとお城の本丸、姫路城でいえば大天守南側の備前丸のイメージがありそうですが、実は備前丸に城主が住んでいたのは最初期の池田氏の時代だけで、次の本多氏から三ノ丸に引っ越しました。姫路城の構造を考えると、備前丸より三ノ丸の方が圧倒的に広くて便利です。既に豊臣氏も滅び、城も要塞としてより藩主の住居や政庁としての機能の方が重視される時代が始まっていました。また、本多氏以降、三ノ丸の、特に城主の屋敷のある西半分を「本丸」と呼ぶようになったようです。
江戸時代も後半の酒井氏の時代には、城主も城内ではなく東御屋敷に居住するようになったとのこと。城は幕府からの預かりものという意識があったとか。
ふと、思い立って、前から訪問したいと思っていた宗像ユリックスプラネタリウムに行くことにしました。
そうTwitterでつぶやくと、たちまちスタッフとつないでくれる人、現地で落ち合って一緒に行ってくれる人があらわれ、一気に具体化。10月の3連休と決め、1日目に宗像、2日目は福岡市内を観光して、3日目は久留米市にある福岡県青少年科学館を訪問する計画が出来上がりました。
以下、マウスポインタが指の形になる写真はクリックするとフルサイズで表示されます。
5日夜、仕事を終えて急いで帰宅。あらかじめ準備していた荷物を持って三ノ宮へ。ここから夜行バスで小倉へ向かいました。
途中何度かのトイレ休憩を挟み*1、ほぼ予定通りの6時20分に小倉駅到着。
夜明けの関門海峡
ハーロックがお出迎え(^^)
近くのベンチにはメーテルと哲郎もいたのですが、ベンチなのでいつも人がいて撮影できませんでした。
近くのマクドで朝ごはんにした後、門司港へ。引き返す形になりますが、関門海峡を見たい。
門司港駅は駅の建物が古く、レトロな雰囲気が漂っています。まだこんな駅が残っていたんだ。保存工事に入ったところでした。
そこから海はすぐ。さきほどわたってきた関門橋も対岸の下関も良く見えます。さすが明石海峡より狭い。
と、ふと見ると、海峡を渡る船が!思わず飛び乗りました。
揺れる~。ジェノバラインの比ではありません。一応外海だもんねぇ。
大きな船の後ろを通りながら、すぐに対岸の下関へ。九州に渡ったところなのにいきなり本州に舞い戻っている自分(^^;
この時間だとさすがにまだ市場ぐらいしか開いていません。唐戸市場は大賑わいでしたが、旅が始まったばかりで生物を抱えて歩くわけにいかないので、市場の中を一巡りして船着場へ戻りました。
唐戸市場
*1 バスにはトイレはついていましたが、それでも3度ほどトイレ休憩がありました。
小倉に戻ってくると、そろそろ小倉城が開くころです。駅から徒歩で向かいます。商店街を抜けて川べりに出たところで、こんなものを発見しました。
伊能忠敬測量200年記念碑
2001年に伊能忠敬の測量200周年を顕彰して建立されたという記念碑です。
北九州市の都市基準点を兼ねているというのがまた面白いです。
記念碑の四方には測量の様子の説明板がついています。
小倉城は関が原の戦いの後に細川忠興が、その後に明石から転封した小笠原氏が城主となった城です。幕末の第二次長州征伐では長州藩によって陥落しています。
天守閣は1837年に焼失、1959年に鉄筋コンクリートで再建。
ここでも伊能忠敬の地図の複製図の展示が!ゼンリンとの共催で「二百年前の地図づくり」という特別展示をやっているとか。小倉城では「測量隊の旅」というテーマで、もう一つの会場のゼンリン地図の資料館では「測量隊の機器」というテーマで展示をやっているとのこと(詳細)。ゼンリンは本社が小倉にあるんですね。
それと知っていればよかったのですが、さすがに地図の資料館の方を回っている時間はなかったので、後ろ髪を引かれながら小倉を後にしました。
天守閣からの眺め。
紫川の川べり。アート関係のイベントをやっていたようです。
宗像へは、Twitterで知り合った人に連れて行ってもらえる約束になっていました。待ち合わせの八幡駅へ向かいます。途中スペースワールドのそばを通りましたが、それらしい施設がわからず。後で、自分が座っていた席と反対側とわかりました。残念。
八幡で合流。車で宗像ユリックスへ。
宗像ユリックスは駅から少し離れ、車でないと不便なところ。ホールなどのある本館と、広場や、プールなどのスポーツ設備からなる広い施設です。プラネタリウムは本館の2階にあります。
この三角屋根の中がプラネタリウムドーム。いわゆるドームがあるのを目標に来ようとすると戸惑うかも知れません。
開場時間を待って、ドーム内へ。いよいよ投影機とご対面です。
カール・ツァイス社の SKYMASTER ZKP-4。No.611。最新式のプラネタリウムでは珍しい二球式。明石のUPP23/3に比べるとずっとコンパクトで可愛い投影機です。おもちゃみたい。
ドーム内は平面ですが、座席は南向きに配置されています。ドーム径12メートル、席数80でゆったりと座れます。
投影中の番組のうち、大人向けの「星座早見盤をもって出かけよう!」を2回見てきました。投影は生解説でした。すべての座席にあらかじめ星座早見が用意されており、お客さんも実際に触って操作を覚えられるようになっています。語り口も軽妙で、とても楽しい投影でした。なにせ寝なかったもんね(^^)*1 星座早見がテーマなので、最後まで星座解説というのも嬉しかった。
投影終了後、事務所へ招かれました。そして閉館後、ドーム内を見学させていただけることに。
ZKP-4は周囲に柵もなく、手を伸ばせば届く距離にあります。見やすいよう、少し低くしてくれました。「うちは隠すものはなにもない」のお言葉に気を良くして、四方から舐めるように眺め回しました。
恒星球。
惑星投影機。
外見上の基本的な作りはUPP 23/3と似ていて、北天南天のそれぞれの恒星球の間に惑星投影機があります。大きく違うのは恒星球の中。電球から発せられた光は光ファイバーで恒星原板上の恒星の一つ一つに送られます。電球の光が無駄なく星の光となって投影されるという仕組み。恒星数7000個。小さいながら、一つ一つの星が明るく、見やすい。
ツァイス社の銘板。No.611
重力シャッター。地平線下に星が写らないように、レンズの下半分を隠します。恒星球がどの角度になっても、重みで常に下半分を隠す仕組みになっています。
解説者席にも入れていただきました。
液晶モニター3台にキーボードや手動操作卓のシンプルな構成です。投影中の投影機の動きはあらかじめプログラムされています。手動操作ももちろん可能で、プログラムより優先されます。基本はプログラムで進行しつつ、必要に応じて臨機に手動による操作を入れられます。手動操作もシンプルで、緯度変化、年周運動、日周運動の正転、逆転(^^)など、触らせてもらいました*2。ちょっとためらっていると、「壊れないから」と言われました(^^)。聞けばボランティアもプラネ解説をやったりしているとか。
ロビーには先代の投影機が展示してあります。
こうして、今回の旅行の最大の目的は1日目に達成。思った以上に楽しくて有意義な体験になりました。スタッフの方にも、同行してくれた人にもずいぶんお世話になりました。ありがとうございました。
2013年10月5日~10月6日に開催された「ひょうごミュージアムフェア」、今年も姫路市の本徳寺が会場でした。
明石市立天文科学館は「太陽系の惑星の模型工作」というワークショップで参加しており、私は6日にボランティアとして参加しました。
惑星模型は、紙粘土を丸めて絵具で色を塗り、紙コップを裏返した台座に置いて完成です。オープン前にまず自分で作ってみることに。
出来上がったのがこれ……
「宇宙戦艦ヤマト2199」でデスラー砲の直撃を受けて崩壊する惑星エピドラ・・・ではなく、土星です(TT) 不器用だなぁ(TT)
ちなみに模範作品。
オープニングは、姫路が誇る(?)ゆるキャラ、かんべえくん、しろまるひめ、それにあずきさんの登場ではじまりました。しろまるひめ以外は実物を見るのははじめて。かんべえくん、テーマ曲ができていたとは(汗)
午前冒頭からお客さんが殺到、他のワークショップもにぎわっていました。
子どもたちのほうが器用です。それなりにきれいに仕上げていきます。たとえ形が凸凹していても、土星の環がありえない色になっていても。
しばらくたつと込み具合にも余裕が出てきて、他を見て回る時間なども持てました。