日本時間の今日午前にスーダン上空で大気圏に突入したはずの小惑星2008 TC3の位置推算表です。MPEC 2008-T74より。Deltaは地心距離。
Date TT R. A. (2000) Decl. Delta r Elong. Phase V 2008 10 07.02 23 48.71 +11 07.9 0.00046 1.000 163.5 16.5 14.6 2008 10 07.03 23 52.14 +11 27.0 0.00042 1.000 164.2 15.8 14.4 2008 10 07.04 23 56.35 +11 50.0 0.00038 1.000 165.0 15.0 14.1 2008 10 07.05 00 01.63 +12 18.5 0.00033 1.000 165.9 14.1 13.8 2008 10 07.06 00 08.48 +12 54.8 0.00029 1.000 167.0 13.0 13.5 2008 10 07.07 00 17.77 +13 42.7 0.00025 1.000 168.3 11.7 13.1 2008 10 07.08 00 31.20 +14 49.0 0.00020 1.000 169.4 10.6 2008 10 07.09 00 51.73 +16 23.4 0.00016 1.000 169.2 10.8 2008 10 07.10 01 34.53 +19 11.3 0.00011 1.000 162.8 17.1 2008 10 07.11 03 13.84 +22 58.7 0.00006 0.999 141.6 38.4
ええと、0.00006天文単位は約8975キロメートル。地球の赤道半径は約6378キロメートルなので、この時点で地表面から2500キロメートルとなります。距離というより「高度」といった方がいいですね。
このあと、スーダン上空で衝突したはずです。
このぐんぐん小さくなる数字、日心距離(r)がほとんど1.000天文単位、まるで見たことのない位置推算表です。
10月7日現在、「今年星を見た人」は436万2310人になりました。
うち10月3日の報告は251件143,864人に。
一方、7月22日の日食は、7日現在で58,210人でした。
日食を十五夜が軽く越えてしまいました。
ひと月ほど前に突然決まった計画。星仲間の一人が千葉市科学館で働き始めたので、落ち着いた頃にみんなで行ってみようということになりました。明石のいつものメンバー。男女各3名計6名。
千葉市科学館だけでなく、この機会に東京近辺の天文施設・科学館をいろいろまわってみようということになりました。
計画では、10月7日深夜の夜行バスで神戸三ノ宮を出発、翌8日の朝に東京新宿着、渋谷→千葉→お台場→?→相模原→三鷹。10日夜に帰ります。ただし一人は8日に日帰りでの参加です。
2日目はさらにいい天気になりました。歩きまわるのに最高です。
まず、福岡市博物館へ。最大の目的は、志賀島で発見された「漢倭奴国王」の金印です。
重厚長大な建物。
常設展示は総合展示と部門別展示の2つにわかれています。総合展示は各時代の対外交流と福岡の都市的発展がテーマ。
金印はあっさりとありました。ケースこそ独立して、また厳重ですが、別室でもなんでもなく普通に。のぞき込んだ他のお客さんが「え?こんなに小さいの?」と一様に驚いていきます。公文書などにどんと押す印をイメージしていると、小さく感じるかもしれません。
その大きさはこんな感じ。
実物大レプリカ(ゴム印)
当時の印は、封印として使うものでした。荷物を紐で縛り、結び目を粘土で固めてその上に印を押して型をつけたのです。
部門別展示室に、黒田節で有名な槍「日本号」がありました。話には聞きますが、現存しているとすら思っていず、意外なものを見てしまいました。とても大きく、豪華な装飾が施されています。
博物館を出ていったん博多駅近くへ戻ります。昼食は博多うどんにしました。
博多で麺類というと博多ラーメン、というイメージですが、出会った地元の人はみな博多うどんを勧めます。
調べれば、うどんは博多が発祥の地との説があります。行きませんでしたが、市内の承天寺には「饂飩蕎麦発祥之地」の碑があるとのこと。あまり知られていない博多のソウルフード。
というわけで、選んだ店が、ここ。
かろのうろん。食べログで上位に上がってくる名店だけあって行列ができています。観光客よろしく並びました。あまり待つことなく二階へ通されました。
ごぼう天うろんを注文。
写真撮るの失敗した・・・・orz 写真は食べログの写真でご勘弁を。
コシがなく柔らかくてモチモチしているのが特徴。讃岐うどんの対極にあります。名物ならバリバリにコシが強いはずと勝手に思い込んだ人はテーブルひっくり返したくなるかもしれませんが、そういう先入観は捨てないとね(^^)
実は昨晩も博多うどんを食べています。夕食を食べに出たものの店が見つからず。やっと見つけたのがうどん屋でした。そこで食べた丸天うどんはもっとコシがなかったというのはここだけの話(^^)
ガイドブックをながめていて、金印が発見された志賀島まで行けるかも、と淡い期待をいだきました。陸伝いだと、交通手段はJR香椎線が志賀島手前の海の中道まで走っているのですが、博多湾をぐるっと大回りしていくしかありません。しかし、博多港から船が出ています。
そうだ!船だ!というわけで、博多駅から路線バスで港へ向かいます。
ところがこれが難儀しました。経路はスマートフォンで容易に調べがついたのですが*1、乗り場がわからない。もたもたしているうちにバスは出てしまい・・・(^^;
しかたがないので近くまで行きそうな路線を行くバスを見つけて飛び乗り、最も港に近い停留所で降ります。そこからひたすら歩いて船の乗り場へ。到着したときはとっくに出た後でした。次の船は・・・もう夕方やん!
仕方なく志賀島行きは諦めましたが、このまま普通に帰るのはもったいないので、天神まで戻る水上バス(那珂川水上バス)に乗ることにしました。志賀島行きの出るベイサイドプレイス博多から天神中央公園まで20分の行程です。
水上バスと言っても屋根はありません。「揺れます」「右側は飛沫をかぶると思います」と係の人。ですがそこで沖合を見てあっと驚きました。沖合、というか対岸の岸壁に、ぱしふぃっくびいなすがいる!
ぱしびぃをよく見るには右舷側に座る方がよさそうです。そこで濡れるのを覚悟で右舷に席を占めました。
うわぁ、揺れる揺れる。昨日の渡し舟どころじゃない(^^)。乗り合わせた家族の子供達は大喜びですが、一人だけ一番小さい子はお母さんにしがみついてわんわん泣いています。そりゃ怖いよね。
そんななか、舟はぱしびぃの横を通りすぎていきます。カメラを飛沫からかばいながらなんとか撮影。
やがて舟は反転し、那珂川の河口へ向かいます。この時も大揺れしたのですが、もう揺れに合わせるこつをつかめていました。川に入ると一気に波が静かになりました。
いくつも橋の下すれすれを通りながら、やがて天神中央公園に到着しました。
実はこんな船でした。
路線バスに乗り、福岡城址へ。
福岡城址は現在は舞鶴公園と呼ばれる公園の一角になります。平和台球場があった場所というとピンとくる人もいるかも知れません。
昨夜の宿は福岡市博物館に比較的近い唐人町にありました。今日は唐人町→福岡市博物館→博多駅→博多ふ頭→天神→舞鶴公園と動いています。福岡の地図を見るとわかると思うのですが、西と東を行ったり来たりしているわけで、動き方が効率の悪いことこの上ありません。いかにも行き当たりばったりの一人旅です。
黒田氏の居城となった福岡城は、現在も門と櫓が一部残り、大部分は石垣のみが現存します。天守は当初から作られなかったとされていますが、近年になって、初期には存在していたのではないかとの説も出ているようです。現在も立派な天守台が残っています。
本丸跡
平和台球場は完全に解体され、一見更地となっています。実はここは、平安時代の外交使節であった鴻臚館の跡地でもあります。球場が解体された後、発掘が本格化しているようです。
南側に展示館が立てられ、遺構や遺物が展示されています。
2日目の宿は天神にとりました。3日目の目的地である太宰府→久留米は西鉄天神駅から向かう予定なので、翌日の移動の便を考えてのことです。
福岡といえば屋台も有名です。日が暮れてから夕食がてら歩きまわってみました。
天神付近の歩道にも、あった。でも、2,3軒の屋台が集まったのが点々と点在する程度です。このあたりを知る友人にメールしてみると「中洲の川沿いはいっぱい並んでいた」とのこと。
中洲に移動してみると、川沿いにびっしりと。
その中の一軒に座ってラーメンだけいただいてきました。あんまり大勢ではいけませんが、2,3人でうろうろしてみると楽しそうです。
★ よしのじ [ほんの150年前は、江戸時代であり、太平洋戦争以外で壊滅的な被害をこうむっていない日本は、その跡はあちこちに残ってい..]