「新着情報」の12日の記事を見て、誰やねん、と思う人もいるでしょう。宗像ユリックスプラネタリウムの運営を受託しているエム・ワイ・ピーというNPO法人の人です。
NPOがプラネの受託運営をするというスタイルも新しい形として興味深いです。
誰が書いたかは知りません。プログラムによれば報道側からも参加があるようなので、そのあたりいろいろ議論もされるのでしょう。いずれにせよ後日内容が公開されるよう期待しています。
Ninja用32センチ主鏡その他もろもろのセットの事ですが、問い合わせてみたら在庫があるとのことなので、発注してしまいました。
高いか安いかわかりませんが、初めてのことを始めるには勢いというものも大切でしょう。
さあ、大変なことになってきた。
初めて勤めた会社の名前を久しぶりに聞きました。新聞で。良い話ではありません。記事では、業績に影響があるどころか上場廃止になりかねない大きな不祥事らしく、中心人物は懲戒処分になったとのこと。辞めてから全然縁はありませんが、社会人になりたての時にお世話になったところだけに心が痛みます。月並みですが真相の究明と信頼回復に努めてほしいものです。
見てきました。
最大の目玉は、大平貴之氏のアストロライナー(実物)でしょう。実物のほかに、テレビ番組用に番組スタッフが作成したものも展示されています。それから高校時代に作られた投影機も展示されています。お客さんもテレビ番組を見た人は多いようで、「ああ、あの番組の」という会話がよく聞こえてきました。
2階に天文科学館の設置時の写真や投影機の図面、一部のパーツの展示があります。写っている人の服装が時代を感じさせます。投影機の台座が車輪付きなのに気がつきました。ドーム内では覆われていて見えないのですが、実際はああなっているのですね。
3階には世界最初のプラネタリウム(投影するのでなく機械仕掛けで天井の惑星がまわる)、ツアイスの第一号機などの写真が並んでいます。五島プラネの写真は懐かしい人には懐かしいかも。
大平さんの投影機の前には家庭用の投影機が並んでいるのですが、一瞥しただけで「スクリーンがないから」と離れてしまうお客さんが大勢でした。逆に言えば、スクリーンの問題さえ解決したら、欲しい人は多いのかな。ドームスクリーンがなくてもいい投影機もあるんですが。
そうそう、メガスターゼロの模型もありました。ホームスターの親玉みたい。小さいですね。
ほしとも☆キッズ135の行事で訪問してきました。
くわしくはふくださんのレポートを御覧下さい(超手抜き^^;)
JR伊丹駅からバスに乗り、最寄のバス停で降りましたが、それらしい建物が見当たりません。見回すと道案内の標識がありました。
「このまま、歩道を歩くんだひょん」とかいわれてるし。
ほどなく見えてきました。本当に伊丹空港の隣にあります。すぐ目の前でレーダーが回っているのが見えます。
玄関を入ると、科学館のマスコット、ひょんたんがお出迎えしてくれます。
展示、プラネ番組、実験・工作イベントの「ちょこっとサイエンス」いずれも手作り感あふれる楽しいものばかりでした。
2月12日は東京で仕事。しかし朝早いので、自腹で前泊することにました。自腹だしちょうど休日なので、ただ前泊するだけではつまりません。前から行ってみたいと思っていた場所へ。
横須賀の三笠公園。東京へは何度も出かけているのですが、横須賀は初めてです。
戦艦三笠。日露戦争時の日本海軍連合艦隊旗艦としてよく知られた船です。また現存する世界唯一の前弩級戦艦です。
常備排水量15,140トン、全長122メートル。兵装は12インチ砲4門他、乗員定員860名。1902年3月1日に就役、1923年9月20日除籍され記念艦として保存されました。第二次世界大戦の敗戦後、艦橋も主砲も煙突もほとんど撤去されてダンスホールや水族館が作られるなど荒廃しましたが、復元されました。こういう経緯があるため、上部構造物の多くはレプリカで特に主砲塔などはコンクリート製、艦内も資料室や講堂などが作られ、「事実上、軍艦の形をした資料館」(by Wikipedia)となっています。それでも、船のかたち、大きさを感じるには十分でしょう。
カッコつけた言い方になってしまいますが、大きさを感じてみたかったのでした。数字は調べればいくらでも出てきますが、それがどんな大きさなのかは、実際に行って自分の目で確かめないことにはわかりません。こんな船に乗って戦争に行った人たちの目にはどんな感じだったのかと。
まず周囲を一巡り。写真で見た艦首部からの見た目はおもちゃみたいに見えるかもしれません。艦尾のスターンウォークは帆船時代の艦尾飾りのなごりでしょうか。
それから乗艦します。やっぱり真っ先に艦橋に行くべきでしょう。
艦橋操舵室。当時世界最大最強の戦艦の艦橋にしてはおそろしく小さくシンプルです(復元だからか?)。
操舵室の一層下には司令塔があります。分厚い装甲で覆われた円筒形の部屋で、スリット状の覗き窓が開いています。中には操舵室と同じ舵輪など航海用の機器が置かれ、戦闘時には艦の首脳陣と操舵手がここに入ることになっていたようです。ただものすごく狭い。操舵手が入ったら一杯な気がします。
日本海海戦では東郷司令長官以下ほとんどの艦隊首脳部は艦橋最上部の露天甲板で指揮を執っていたようですが、この司令塔が実際の通りだったら、たしかにここで指揮はとれません。
おそらく三笠一番の名所、艦橋最上部。
東郷司令長官、加藤参謀長、秋山参謀、伊地知艦長の立ち位置を示した銘板が床にはめ込まれています。これもその通りだと、ほとんど体が接触するぐらいの位置に立っていたことに。ここも狭いので、人がすし詰め状態だったのではと想像します。
さすがにここは見晴らしが抜群です。戦闘時はハンモックネッティングで囲われるとはいえ敵弾に身をさらすことになりますが、指揮を執るにはこの場所にとどまるのが最適だったでしょう。
上甲板に並ぶ大砲とハンモック。砲員は自分の受け持ちの大砲のそばで生活していたようです。
艦内は、艦首側に水兵が居住し、艦尾に士官の居住区がありました。帆船時代の英国海軍と同じです。
コンクリートで復元された主砲塔。
時鐘
艦橋の窮屈さとは裏腹に、艦内は全体にスペースに余裕があるように感じられました。もっとも、実際には今あるより多くの機材があり、800人以上の乗員が乗り込んでいたのですから、実際の艦内はごった返していたのかもしれません。
日露戦争では大活躍した三笠ですが、戦後すぐ爆発事故を起こして沈没。引き上げられ再就役しましたが、前弩級、弩級、超弩級の由来となった戦艦ドレッドノートの就役により、同時代の他の戦艦と同様、たちまち旧式艦の烙印を押されることになってしまいました。
★ ふくだ [初自作が32cmですかぁ。楽しそうですね。ぜひぜひその後のようすもお聞かせください(^_^)。]
★ ふくだ [あ、「さいしょのいっぽ」ってことで「初自作」ということとは違いますね。失礼いたしました。m(_ _)m]
★ (ふ) [いえ、初自作です。]