2月12日は東京で仕事。しかし朝早いので、自腹で前泊することにました。自腹だしちょうど休日なので、ただ前泊するだけではつまりません。前から行ってみたいと思っていた場所へ。
横須賀の三笠公園。東京へは何度も出かけているのですが、横須賀は初めてです。
戦艦三笠。日露戦争時の日本海軍連合艦隊旗艦としてよく知られた船です。また現存する世界唯一の前弩級戦艦です。
常備排水量15,140トン、全長122メートル。兵装は12インチ砲4門他、乗員定員860名。1902年3月1日に就役、1923年9月20日除籍され記念艦として保存されました。第二次世界大戦の敗戦後、艦橋も主砲も煙突もほとんど撤去されてダンスホールや水族館が作られるなど荒廃しましたが、復元されました。こういう経緯があるため、上部構造物の多くはレプリカで特に主砲塔などはコンクリート製、艦内も資料室や講堂などが作られ、「事実上、軍艦の形をした資料館」(by Wikipedia)となっています。それでも、船のかたち、大きさを感じるには十分でしょう。
カッコつけた言い方になってしまいますが、大きさを感じてみたかったのでした。数字は調べればいくらでも出てきますが、それがどんな大きさなのかは、実際に行って自分の目で確かめないことにはわかりません。こんな船に乗って戦争に行った人たちの目にはどんな感じだったのかと。
まず周囲を一巡り。写真で見た艦首部からの見た目はおもちゃみたいに見えるかもしれません。艦尾のスターンウォークは帆船時代の艦尾飾りのなごりでしょうか。
それから乗艦します。やっぱり真っ先に艦橋に行くべきでしょう。
艦橋操舵室。当時世界最大最強の戦艦の艦橋にしてはおそろしく小さくシンプルです(復元だからか?)。
操舵室の一層下には司令塔があります。分厚い装甲で覆われた円筒形の部屋で、スリット状の覗き窓が開いています。中には操舵室と同じ舵輪など航海用の機器が置かれ、戦闘時には艦の首脳陣と操舵手がここに入ることになっていたようです。ただものすごく狭い。操舵手が入ったら一杯な気がします。
日本海海戦では東郷司令長官以下ほとんどの艦隊首脳部は艦橋最上部の露天甲板で指揮を執っていたようですが、この司令塔が実際の通りだったら、たしかにここで指揮はとれません。
おそらく三笠一番の名所、艦橋最上部。
東郷司令長官、加藤参謀長、秋山参謀、伊地知艦長の立ち位置を示した銘板が床にはめ込まれています。これもその通りだと、ほとんど体が接触するぐらいの位置に立っていたことに。ここも狭いので、人がすし詰め状態だったのではと想像します。
さすがにここは見晴らしが抜群です。戦闘時はハンモックネッティングで囲われるとはいえ敵弾に身をさらすことになりますが、指揮を執るにはこの場所にとどまるのが最適だったでしょう。
上甲板に並ぶ大砲とハンモック。砲員は自分の受け持ちの大砲のそばで生活していたようです。
艦内は、艦首側に水兵が居住し、艦尾に士官の居住区がありました。帆船時代の英国海軍と同じです。
コンクリートで復元された主砲塔。
時鐘
艦橋の窮屈さとは裏腹に、艦内は全体にスペースに余裕があるように感じられました。もっとも、実際には今あるより多くの機材があり、800人以上の乗員が乗り込んでいたのですから、実際の艦内はごった返していたのかもしれません。
日露戦争では大活躍した三笠ですが、戦後すぐ爆発事故を起こして沈没。引き上げられ再就役しましたが、前弩級、弩級、超弩級の由来となった戦艦ドレッドノートの就役により、同時代の他の戦艦と同様、たちまち旧式艦の烙印を押されることになってしまいました。