編集後記


2015年06月13日(土) [長年日記]

漏刻祭再現

明石市立天文科学館で近江神宮漏刻祭再現がありました。

近江神宮は天智天皇を御祭神とする神社です。

天智天皇の事績の一つに、日本で初めて時報を始めたという事が挙げられます。現在の暦で671年6月10日、天智天皇は都をおいた近江大津宮に漏刻を置き、定刻に鐘を打って時を知らせることを始めました。

(日本書紀巻第廿七 天智天皇記 十年)
夏四月丁卯朔辛卯、置漏剋於新臺、始打候時動鍾鼓、始用漏剋。此漏剋者、天皇爲皇太子時、始親所製造也、云々

この日を記念して、6月10日は「時の記念日」に制定されています。そして、天智天皇を祭神とする近江神宮では、毎年6月10日に漏刻祭を斎行されています。この行事が、近江神宮の協力の元、天文科学館で再現されました。

漏刻祭では、時計業界の関係者から、各メーカーの時計新製品を献納し、舞楽の奉納が行われます。再現では、時計を献納する漏刻博士に明石の時計商組合の組合長さん、時計を持って従う采女に、びわ湖観光大使、舞楽は兵庫県芦屋市で活動する女人舞楽の原笙会が出演されました。

近江神宮の漏刻祭も、時計業界関係者が王朝装束で献納し、原笙会が舞楽を行いますので、まさにそのまま明石で再現です。

違うのは、ご祭神が、天文科学館のツァイス投影機という事ですが…(笑)

厳かな雰囲気の中、献納の一行が入場するまさにその瞬間にいきなりディズニーの音楽が流れるというハプニングがありましたが(^^)、これもどうやらそういうものだったようです(時計のアラームでした)。

写真は画質が荒いです。持って行ったコンデジでは感度不足のためiPad miniで撮影しましたがこんなもの。ミラーレスのいいカメラが欲しいです。

天智天皇の皇太子時代の漏刻

天智天皇が近江大津宮に漏刻を置いた件について、日本書紀のその部分の記述には「この漏刻は天皇が皇太子時代に初めて作った」という意味のことが書いてあります。

皇太子時代の天智天皇とは中大兄皇子のこと。「大化の改新」の中心人物ですね。

中大兄皇子の漏刻については、やはり日本書紀に記述があります。

(日本書紀巻第廿六 斉明天皇記 六年)
夏五月辛丑朔戊申、高麗使人乙相賀取文等、到難波館。是月、有司、奉勅造一百高座・一百衲袈裟、設仁王般若之會。又、皇太子初造漏剋、使民知時。...(以下略)

この漏刻が、飛鳥水落遺跡に設置されたとされる漏刻ですね。


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