*1 ただし、姫路城で、江戸期の大部分を通じて「本丸」と呼ばれていたのは実は三ノ丸の方だったりする。
*2 資料によれば本丸、二ノ丸、三ノ丸は幕府直営工事。
*3 もっとも、複雑な部分は秀吉時代のものと言われていて、池田氏、本多氏によって築かれた三ノ丸、西ノ丸は、やはり広くて単純な形をしている。
巽や坤に櫓があるというのは、やはり、鬼門などを重視<br>したのでしょうかね。単純に東西南北にたてると、<br>ナナメかどにある櫓が巽や坤の方位にあたると<br>それだけなのかしらん。<br><br>明石城もさることながら、その裏の時の道の<br>人丸教会の壁面日時計がまだあるのかなー。と<br>それを思い出しました。
本丸の四辺は東西南北の方角に沿っているので、角の方角が南東・南西・北西・北東になっただけかと思います。方位学と関係があったりする方が面白いですけど。<br><br>人丸教会の日時計は健在です。今も時を刻んで。。。いや刻んではいないか。影を落として。。。これは縁起が悪い(^^)
14日「明石市率天文科学館の特別照明 」<br>市率→市立<br><br>菅野さんに借りた冷却CCDで、学校の望遠鏡でも光害の中、小惑星4106が写りました。
巽や坤に櫓があるというのは、やはり、鬼門などを重視<br>したのでしょうかね。単純に東西南北にたてると、<br>ナナメかどにある櫓が巽や坤の方位にあたると<br>それだけなのかしらん。<br><br>明石城もさることながら、その裏の時の道の<br>人丸教会の壁面日時計がまだあるのかなー。と<br>それを思い出しました。
本丸の四辺は東西南北の方角に沿っているので、角の方角が南東・南西・北西・北東になっただけかと思います。方位学と関係があったりする方が面白いですけど。<br><br>人丸教会の日時計は健在です。今も時を刻んで。。。いや刻んではいないか。影を落として。。。これは縁起が悪い(^^)
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