編集後記


2007年02月12日(月) [長年日記]

明石城


(^^)
灯台下暗しというか、あんなによく見かけているのに、登城したのはン十年ぶりです。

明石城
明石城といえば、駅から見える白い城壁と両端の白い櫓が印象的です。天守はありません。天守台は築かれましたが、ついに天守は建てられませんでした。

坤櫓
坤櫓

西から巽櫓を見る

巽櫓
こちらは巽櫓。
坤櫓と巽櫓は月ごとにかわるがわる公開されています。今月は巽櫓の公開に当たっていました。無料。

巽櫓から市街地を見る

本丸
本丸。見た感じ姫路城本丸(備前丸)よりも広く感じます*1。木や芝生があるせいでしょうか。
本丸から東にほぼ同じ高さで二ノ丸、東ノ丸と続き、南の下がったところに三ノ丸を配しています。いずれも広く単純な形です。多数の兵を集結させるのに向いた構造で、江戸初期の幕府の城*2の特徴と言われます。実は姫路城の複雑な縄張りは、あの時代、すでに時代遅れでした*3

*1 ただし、姫路城で、江戸期の大部分を通じて「本丸」と呼ばれていたのは実は三ノ丸の方だったりする。

*2 資料によれば本丸、二ノ丸、三ノ丸は幕府直営工事。

*3 もっとも、複雑な部分は秀吉時代のものと言われていて、池田氏、本多氏によって築かれた三ノ丸、西ノ丸は、やはり広くて単純な形をしている。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
大阪のわたなべ (2007年02月14日(水) 13:58)

巽や坤に櫓があるというのは、やはり、鬼門などを重視<br>したのでしょうかね。単純に東西南北にたてると、<br>ナナメかどにある櫓が巽や坤の方位にあたると<br>それだけなのかしらん。<br><br>明石城もさることながら、その裏の時の道の<br>人丸教会の壁面日時計がまだあるのかなー。と<br>それを思い出しました。

(ふ) (2007年02月14日(水) 19:32)

本丸の四辺は東西南北の方角に沿っているので、角の方角が南東・南西・北西・北東になっただけかと思います。方位学と関係があったりする方が面白いですけど。<br><br>人丸教会の日時計は健在です。今も時を刻んで。。。いや刻んではいないか。影を落として。。。これは縁起が悪い(^^)

N村 (2007年02月15日(木) 10:18)

14日「明石市率天文科学館の特別照明 」<br>市率→市立<br><br>菅野さんに借りた冷却CCDで、学校の望遠鏡でも光害の中、小惑星4106が写りました。


プロフィール

星を見る、本を読む、そこらを歩いてまわる・・・→詳しく

注目リンク

バックナンバー