★ 超新星が SN 2001faまで来ました。130個を越えたと言うことか。あと2ヶ月少々でどこまで増えるか。
短周期彗星です。でも C/ 。。。。
2000年の画像を削除しました。そうしないと今日の分が入らなかった。
うちの会社も、あいかわらず。。。以下自粛
もうかなり前から募集しているキャンペーンですが、11月15日締め切りというのが広報されて初めて知った人もいるようです。ほんとは別の火星探査機のキャンペーンだったはずですが、先行した火星探査機が相次いで失敗したりして計画が変更になり、このキャンペーンの対象探査機も変更になったようです。
登録するとこんな感じの証明書を発行してくれます。Webでしか見られませんが。印刷すればいいのか。
ちょっと話の趣旨から外れるけど、もうかなり前、アマチュア写真家たち*1による、星を写した写真の展示を見る機会がありました。天体写真の世界の言葉で言えば「星景写真」ということになるでしょうか。なのですが、単なる「撮影派天文マニア」と比べて、やっぱり違うなと思いました。
*1 特に天文やっているわけではないということに注意。
こんどは地震ですね。これも人ごとではありません。大きな被害になりました。お見舞い申し上げます。
台風は、それでもある程度事前予測が可能ですが、地震はいきなりですもんね。
台風24号が接近しています。心配です。
私は日本の宇宙開発の発展に期待を寄せている者です。
独立行政法人・宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部が、小惑星探査機「はやぶさ2」を計画しているものの、2007年度の予算獲得が厳しいということを伝え聞きました。
先に打ち上げられた第20号科学衛星「はやぶさ」(MUSES-C)は、2005年11月に小惑星「イトカワ」の観測と着陸を試み、世界が注目する成果を挙げました。
「はやぶさ2」は「はやぶさ」の同形機で、「イトカワ」とは異なる性質の小惑星を調査することを目的としています。アメリカが火星に連続して探査機を送り込んでいるように、探査は継続して行うことが必要であり、一回行えばそれで充分というものではないと考えます。特に「はやぶさ」はあくまで探査技術の実証が本来の目的であり、それに続く「本番」としての探査計画が行われなければその意義の多くが失われてしまいます。
また、日本は米ソ(当時)に続いて世界で3番目に人工衛星の打ち上げに成功した宇宙開発先進国です。しかし、近年は中国、インドなどが躍進しつつあり、このままでは日本は同分野において後進国となりかねません。
「はやぶさ」の活躍は、私達日本国民に大きな感動と勇気と自信を与えました。また日本の技術力を世界にアピールすることにもなりました。続く「はやぶさ2」にもより大きな成果を期待します。ぜひ2007年度に「はやぶさ2」の開発を開始できるよう、ご配慮をお願いいたします。
戻ってきた阿修羅像を拝観してきました。
今回は興福寺特別公開「お堂で見る阿修羅」。阿修羅像を中心に、現存する八部衆・十大弟子像を仮金堂に安置するという企画です。
国宝の北円堂も公開。拝観料は、仮金堂・北円堂合わせて1500円。
ちなみに、特別でない日は、阿修羅は国宝館で500円で見られます。たぶん距離は上野よりもたぶん福岡よりも仮金堂よりも、ずっと近い(福岡は行ってないので知りませんが上野と同じ感じなら)。ただし国宝館はガラス越しです*1。
近鉄奈良駅から東向商店街を南下、三条大路に突き当たったところにあるうどん屋さんで昼食。学生時代よく通った店です。店はたぶん建て替わっていると思います。こんなに狭くなかったような・・・・二階なんてなかったような・・・・
その近くに、高速餅つきで有名な中谷堂があります。
餅つきは見られませんでしたが、ここのお餅はやわらかくてなめらかでおいしい。
さらに進むと猿沢池
亀さんは相変わらずです。
そして興福寺
ええと、
北円堂・・・・50分待ち
仮金堂・・・・60分待ち
・・・・・・待ちましょう(折角来たのだ)。
北円堂
藤原不比等の菩提を弔うために建立されたお堂。過去2度焼失していますが、現存する建物は1210年の再建で、興福寺内で最も古いお堂です。弥勒如来を本尊に、運慶一門によって制作された像が安置されています。
運慶一門=もらった資料では「運慶工房」と。なるほどわかりやすい。
ここはしっかり50分待たされました。
続いて仮金堂へ。こちらがいわばメインですが、アナウンスされたよりもずっと早く、30分ほどで堂内へ。
興福寺にはもともと中金堂、東金堂、西金堂の3つの金堂がありました。いずれもたびたび火災に見舞われるなどして、現存するのは室町時代に再建された東金堂だけです。 中金堂は1717年の焼失から長く再建されず、1世紀後にやっと仮堂が建立されました。 その仮堂は、本来は中金堂再建までの仮のお堂のつもりでしたが、結局、比較的最近までつかわれ続け、ついに老朽化のため、1974年に今の仮金堂が建てられてました。中金堂は現代になってついに再建が始まっています。
この仮金堂内で、本尊の釈迦如来の前に阿修羅像が、その左右に八部衆と十大弟子像がずらりと並びます。なかなか壮観です。
こうやって他の仏像と並べてみると、興福寺の阿修羅は本当に異形です。実に仏像らしくない。
上野の時、一段高いところから見渡すことができるようになっていましたが、今回も阿修羅正面に一段高い場所が用意されていました。
八部衆は、もともと西金堂に安置されていたそうですが、いずれまたお堂に安置される日は来るのでしょうか。
*1 10月31日付朝日新聞によれば、国宝館に戻った後も原則露出展示になるようです。
最初の予定では、興福寺のあと、いつものように東大寺へ回るつもりでしたが、興福寺でずいぶん時間をとったので、駅に近づく方向で、ならまちへ向かいました。
別の観光客の一団から「こういう建物も、昔は使ってたんだろうね」と言う声が聞こえてきました。
・・・いまも使ってます。元暦元年(1184年)から二十四代続く現役の漢方薬局です。
平城遷都の際に飛鳥から元興寺がこのあたりに移されました。その旧境内に発達したのが、ならまちです。
「奈良町」という地名は存在しません。「奈良町都市景観形成地区」が定められていますが、たとえば倉敷美観地区に比べると他地区との境はあまりはっきりした感じはありません。町屋とイマドキの家屋が混在し、普通の町の中に伝統的の町屋がそのまま多く残り続けている印象です。
前に来た時も書いたのだけど、見たことのあるような街並みなのです。ありがちな「どこか懐かしい」なんて紋切り型の感想ではありません。うちの家の近くにも似たような街並みが・・・・・子供のころからするとずいぶん変わってしまいましたが。
やっぱり昔は日本中こんな街並みが広がっていたのでしょう。
ならまちといえば庚申堂と身代わり猿
身代わり猿は背中に願い事を書けば「願い猿」。家族の願い事を書いた時は玄関の内側に、個人的な願い事は寝室に吊るすのだそうです。
屋外に吊るすイメージが強いですが、奈良町資料館の人によれば、屋外に吊るすのは「家外安全」、町を歩く人の安全を願ってのこととか。
菊岡漢方薬局からまっすぐ北へ歩くと、猿沢の池の南に出ました。
*1 いつもと言うほども来ていませんが