明石市立天文科学館星の友の会の中に会内サークル「遠足部」を立ち上げました。会員の完全な自主活動で、近隣の科学館や天文施設などに出かけるサークルです。
その第一回目の「遠足」先として大阪市立科学館を選びました。開催中の企画展『渋川春海と江戸時代の天文学―「天地明察」の時代―』を見学するのが目的です。参加者は合計7名。各自のスケジュールの都合で、先行組4名と後から合流する3名に分かれ、先行組は先にプラネタリウムを鑑賞することにしました。
プラネタリウム番組は「ブラックホール」。前半は生解説による星空案内、後半は自動投影番組となります。初めて大阪市立科学館に来られる人もおり、見慣れた明石とは全く異なる設備や番組構成に驚いていました。
後から来た3名と合流、展示室へ。今回、担当の嘉数学芸員に案内をお願いしていました。
渋川春海(1639~1715)は江戸時代の天文学者。江戸幕府碁方の安井算哲の長子として生まれ、14歳で父の跡を継いで二世安井算哲となります。幼少から天文に興味を持ち、碁方を務める傍ら数学、暦法、天文暦学、神道などを広く学びます。(「渋川春海」を名乗るのは晩年ですが、ここでは「渋川春海」または「春海」と呼ぶことにします)
春海はそれまで日本で使われていた宣明暦に代えて、初めて日本独自の暦である貞享暦への改暦を行い、その功績により初代幕府天文方に任ぜられます
当時、日本でも使われていた中国式の太陰太陽暦では、毎年暦の作成を行う必要があり、「宣明暦」「貞享暦」といった「暦」はその計算法を定めた「暦法」です。どんなに優れた暦法も長年のうちに誤差が増大するために絶えず改良(=改暦)が必要でした。
ところが日本では、862年に施行された宣明暦がもう800年以上使われ、江戸時代初期にはかなりの誤差を生じるようになっていました。春海は十数年の苦労の末に改暦事業を成功させます。この改暦に取り組む春海(安井算哲)を描いたのが冲方丁の「404874013X」で、今年映画になりました。
企画展の目玉の一つは、映画で実際に使われた大道具、小道具の展示で、こちらは地下一階アトリウムに展示されていました。映画前半の北極出地のシーンで登場する象限儀は良い撮影スポットです。実際に観測可能で、京都でこの象限儀を使って北極星を観測するイベントも行われたとか。
「天地明察」の象限儀。大きい!
この象限儀は春海の時代のものではなく、ずっと後世、伊能忠敬が使った象限儀をもとにしているとのこと。大きいですが、これは監督から「大きくしてくれ」と言われたため(^^)。春海の時代の観測機材は、渾天儀など残されているものもありますが、よくわかっていないようです。
また春海が本当に北極出地を行ったかどうかも正直「わからない」そうです。後世の伝記に、現在の中国・四国地方に私的に旅をしてそこで北極出地を行ったという記述がほんの一、ニ行出てくるだけとのこと。「わからない」ならそこは作家の領域、というわけで、「天地明察」では幕府の命で全国をめぐる事になったのでした。もっとも、史実では全国というのはさすがにないようですが。
算額絵馬。実際は「算額」というように大きな「額」だったそうですが、原作および映画では絵馬として描かれています。
天球儀や文献類。小道具の充実度は日本映画としては「ギネス級」だそうです。改暦の請願書は専門家が感心したぐらいよくできているとのこと。書籍なども一部実際に文字が書き込んでいる場所があり、大学の書道部などを動員して書き込んだそうです。
もう一つの目玉は春海が作成した星図3作全部揃っていることでしょう。春海の功績は貞享暦改暦がよく知られていますが、改暦後も引き続き天体観測を行い、星図を3作残しています。その最も新しい「天文成象」では、日本独自の星座をいくつも制定しています*1。
展示の様子。撮影禁止の資料もあるので遠くから。
春海の時代は、まだ洋書の輸入が厳しく制限されていた頃になります。地動説など西洋の天文学の最新知識にも触れてはいましたが、春海自身は疑わしく思っていたようです。洋書の禁が緩和され、蘭学が本格的に発展をはじめるのは春海が亡くなった直後のこと。春海は衰退していた日本の天文学を活気づかせた人物であると同時に、蘭学の影響を受ける以前の伝統的天文学の最後の天文学者でもあります。
ところで、この時代の天文書も暦法もすべて漢文です。数値や計算式もあるはずですが、どんなふうに記載されているか、興味ありませんか?
はい、展示してある書物の数式を見てみました。すべて漢数字、計算記号も「加減剰余」そのまま漢字です。当然縦書き。ふくださんも言われているように相当難解です。これを読んだだけでも尊敬してしまいます(^^)。
嘉数さんのギャラリートークは、とても丁寧で、かつ熱心にお話いただき、他のお客さんも巻き込んで予定の時間の倍近くにもなりました。私達だけだったら20分程度で済ませてしまったところ。ものすごく濃密な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。
おまけその1。彼らも一緒に。
おまけその2。近くの空き地にあった謎のアナレンマ。ここは科学館関係の敷地とは思えない空き地でした。
*1 天のメッセージは天文現象となって現れるため、為政者は天を観測してそのメッセージを読み取らねばならないという思想が生きていた時代。当時の日本で使われていた星図星座は中国のものだったため、それを日本に合うように作り変える、というのが春海の星座研究の目的だったようです。