編集後記


2010年06月06日(日) [長年日記]

キトラ四神公開&飛鳥古京

ほぼ毎年の奈良行き、今年の2回目。明日香村へ行ってきました。

いつものように見たものをざっと流すだけのレポート。

飛鳥資料館で、キトラ古墳の四神(玄武、白虎、青龍、朱雀)がまとめて公開されています。朱雀は今回はじめて。

飛鳥資料館

大阪上本町から近鉄大阪線に乗り継ぎ、近鉄八木駅で橿原神宮前駅行きに乗り換え。飛鳥資料館へは橿原神宮前駅からバスまたは自転車で行くのが近いです。

駅前のレンタサイクルにしようか、直通バスに乗ろうか考えた末、バスに乗りました。

家をでるのが遅かった上、電車を降りてから昼食をとったため、資料館到着は12:30を過ぎていました。

飛鳥資料館。キトラ壁画はやはり人気で、例年それなりの待ち時間になります。今年は朱雀だし全部揃うし、多いかと思いましたが、待ち時間は想定の半分以下の30分。遅めに到着したのが良かったのかもしれない。

陶板による古墳壁画の複製の展示(昨年登場したらしい)、それに、天文図の模写も公開されました。

続いて本物の壁画が置いてある展示室へ。

青龍はほとんどが泥でおおわれ、舌ぐらいしか判別できません。玄武、白虎は汚れが少なく、とてもはっきりと残っています。

そして朱雀。発見直後の映像で見た姿よりも、さらに汚れが進んでしまっていました。ちょっと残念。それでも、足を蹴立て、翼を広げて今にも飛び立とうとしている躍動感のある絵です。

資料館を出た後は、自転車を借り、いろいろ回ってみることにしました。

甘樫丘

飛鳥というとなぜか印象に残っているのは甘樫丘です。

この地域、どこからでも甘樫丘は見えます。丘の南に蘇我氏の屋敷があったとされています。

水落遺跡

ここは外すわけにいきません。

中大兄皇子が日本で初めて漏刻(水時計)を作らせた跡。

遺跡の北西隅にこのようなものがあったのですが、なんでしょうか。

石神遺跡

位置がずっと謎だったのですが・・・・

なんと、飛鳥寺周辺の集落北側から広い道までの一帯が全部そうだったとは。

飛鳥寺

西門付近を通過。

蘇我入鹿が殺害された乙巳の変で、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏に備えて陣を張った場所。

人が多かったのでそのまま通過しましたが、入鹿の首塚もあります。

伝飛鳥板蓋宮跡

実際は違うという説もあるようですが・・・

乙巳の変の舞台は、ここから全部一望できるのです。

川原寺跡

さらに南下します。

川原寺跡を通過。

門や回廊、塔の跡が残る向こうに、今の川原寺が残ります。

南向かいには、近くで聖徳太子が生まれたとされる橘寺があります。

鬼の雪隠、鬼の俎

川原寺から西へ。途中、亀石の前を通過しました。

路傍にぽつんと大きな石があります。亀の頭に似ているらしい。一見自然石のようで すが、下部に加工したあとがあるとのこと。

それでも何もなければ見過ごしそうですが、すぐ隣に土産物屋があって、人も大勢いて、ちょっとした観光名所です。

さらに進んで、中学校の横の道を進みます。

ここまでくると高松塚古墳はもうすぐです。

途中、道端にまた大きな岩が。


鬼の雪隠。

これは鬼の俎と対になっています。道を挟んで山を登ると鬼の俎。

旅人を鬼が俎で料理して食って、雪隠で用を足した・・・・実は古墳の石棺で、俎の位置にあったものが転げ落ちたのが雪隠。

それより、宮内庁の管理とは。

中学校のグラウンドに隣接していて、部活動の声がよく響いていました。

高松塚古墳

最後に高松塚古墳。壁画館には入りませんでしたが・・・

古墳そのものが新しく整備されていました。

資料館を起点としている限り、なかなか南の方へは足が伸びません。今回もキトラ古墳にはたどり着けず。また日を改めることにしましょう。


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