以前にも書いたように、奈良は大学時代4年間住んでいました。2006年10月に久しぶりに訪れて以来の訪問です。
JR新快速で大阪。環状線外回りに乗り替え鶴橋、近鉄に乗り換え、急行で奈良へ。
奈良と言えば・・・
きんならぎょうきまえ(^^)
猿沢池からのお約束の風景と池の住人。
興福寺。そしてやっぱり、鹿。
東新館が会場です。え、すごい行列?と思ったら、同時開催の公開講座の列でした。特別展へは、待つこともなくすんなりと入場できました。
今回の特別展は、金堂の須弥壇が修理されるため、安置されていた諸像や壁画を博物館で公開することになったものです。公開されたのは、本尊の阿弥陀三尊と、木造の四天王像、金堂内陣外陣の壁画など。
展示室に入ると、手前側に四天王が一列に並び、その奥中央に阿弥陀三尊が安置されています。
すでにテレビの番組などで予備知識がついてしまっていましたが、四天王像は確かに東大寺などで見た四天王とは表情が全く異なります。東大寺の四天王(広目天と多聞天)は怒ったような顔をされていますが、法隆寺の四天王はもっと静かな表情に見えます。無表情というのではありません。広目天の顔の赤外線写真が展示されていましたが、それによると、実際には、目を見開いてまっすぐに見据えるような表情だったようです。後で購入した図録に「常勝将軍の如き自信に満ちた面相」という記述があります。まさにそういう表情。自ら武器をふるって戦うというより、将軍として戦いを指揮するという表情です。
一部、色の残った部分がありました。当時は極彩色に塗られていたのでしょう。
阿弥陀三尊は、見た眼に思ったより小さい印象を受けました。像に対して台座が大きすぎるように思いました。本堂の本来の位置に置いたらバランスよく見えるのでしょうか。
仏像の上に天蓋がかけられていますが、この一つが、間近で見える位置に展示されていました。木造であることに驚きました。掛けているときは布製のように見えた。
また、銅剣が二振。そのうちの一振りは七星剣です。北斗七星と日月が線刻されています。磨いたところに北斗の線が浮かび上がっているのがよくわかりました。
展示室の両側の壁には内陣と外陣の壁画が展示しています。外陣壁画は焼損してしまい、後日、復元されました。展示されたのはその復元壁画です。焼損前の状態に、汚れや染み、傷も含めて再現し、余計なものは一切書きくわえないという方針で再現されたそうですが、それはかえって難しい作業だったのではと思います。
法隆寺は一度しか行ったことがなく、本堂に安置されていた時の各像の記憶がほとんどありません。修理が終わったら、改めて行ってみたいと思います。
予定外ですが、ここまで来たら、お参りしないわけにはいきません。四天王像も確認しておきたいし(過去何度も見ていますが)。
南大門の仁王像はよく知られていますが、その背面に、狛犬のような像があります。前にも来ているくせに、今初めて関心を持ちました。これはなんでしょう。
大仏殿はいつ見ても大きいです。比較対象がないので、ぱっと見には実感がわかないかもしれません。でも、行き来する人の大きさと比べると相当なものです。でも、姫路城大天守より大きい?以前そんな話を聞いたのですが・・・
ここは写真撮り放題なので(三脚不可という程度)、
違いますね、全然。
東大寺の前からバスで近鉄奈良駅前へ、さらにバスを乗り継いで、昔懐かしい平城宮跡へと向かいました。これも予定外ですが、復元された朱雀門を見るためです。
平城宮跡は、大学の頃の日常の観測地でした。市街地に近いため空の条件は良くはありません。天の川? 無理です。でも、土地の広さと視界は抜群です。360度、そうとう低い位置まで見渡せるのです。卒業以後二十数年、一度も足を踏み入れたことはありません。
朱雀門の南に朱雀大路が復元されています。とてつもなく広い道路です。
しかし、この炎天下、日陰も何もないこんな場所の真ん中に立つなど、無謀以外の何ものでも・・・・
朱雀門は1997年に復元されました。当時の朱雀門の構造に関する資料は一切残っていないので、発掘調査の成果や同時代の寺院などの建築物から推定したとのこと(竹中工務店:朱雀門)。そういう復元は危険ではと思いましたが。
朱雀門の上では、観光ボランティアの人がガイドをされていました。
ここから真北を見ると、第一次大極殿の復元工事現場が見えます。しばらく見ていると、手前を電車が通過します。平城宮内を近鉄奈良線が通っているのです。
観光ガイドの人は嘆かれていましたが、私ももう見慣れた風景なので、これからはともかく、既にそうなってしまったものは、今更いいんじゃないかと考えています。別に奈良は平城京の時代から時間が止まっているわけではありません。奈良町なども平城京よりもはるかずっと後に形成されたものです。いろんな時代が一つの土地に積み重なっていて、一番新しく積み重なったものが電車の線路だと思えば。
朱雀門から第二次大極殿跡までは、直線距離でも600メートルちょっとあります。この炎天下、ためらいましたが、結局、そこまで行くことにしました。
この第二次大極殿跡こそ、大学の時に観望観測を行った場所なのです。ここまで近くに迫っておいて、いかないわけには・・・・
なんとか木立の影を拾いながら進みました。あれ、ここってこんなに緑に覆われていたっけ。学校のグラウンドみたいな固い土で、よくここでソフトボールなんかやってた*1。芝のようですが、短く刈り込まれているわけでもないし、その下の地面もふわふわぐにゃぐにゃなので、サッカーもやれない、
草を踏みしめ、ついに第二次大極殿跡に到着しました。
いつから星を見るようになったか、尋ねられても困るのですが、少なくとも、「天文やってます」と言える程度に見る撮る測るをするようになったのは大学の時からです。この場所は、ある意味原点の一つと言えます。
ということは、ある意味原点回帰?
(クリックで拡大)
大極殿跡だけでもそれなりの広さがあります。この写真で人が写っているので、おおよその規模はつかめると思います。
ここから約150度ほど右回りすると、第一次大極殿の復元現場があります。
つまり第一次と第二次は、こういう位置関係にあるということ。
大極殿をぐるりと回ってみた後は、そのまま近鉄西大寺駅へ歩いて向かい、奈良を後にしました。
暑い日でした。特別展と東大寺までは良かったけれども、平城京を歩き回るのは無謀だったかも。まじで熱射病を心配しました。
*1 ちなみに私は野球ソフトボールが嫌いなので、この点に関してはよい思い出がない。