検証というほど大げさなものではないですが、六曜ってあんまり知らないので自分なりに調べてみました。「新着情報」で紹介しましたが、こことここ。
要するに、六曜では「旧暦」8月1日を友引と決めていて、そこから先負、仏滅、大安、赤口、先勝、また友引 ... と順に振っていくと、「旧暦」8月15日は仏滅になる、と、そういうことです。「旧暦」各月1日の六曜は以下の通り。
よく「六曜の日付を計算で求めたい」という要望を聞くことがありますが、「旧暦」の日付さえわかれば実に簡単です*1。結局「旧暦」何月何日がどれになるかは決まっているのです。いやほんと、「旧暦」で見ると全然ありがたみがない。
*1 それが大変という話もあるが。
私の子は....じゃなくて私は*1、コンピュータゲームを2時間もやってられない。なにせ私はほとんどゲームをしないし興味もない人なのです。せいぜい「上海」を暇つぶしにやる程度。それも1面クリアしたら飽きてしまいます。
かつて、PCといえばNECだった時代には、それなりにやってた気もするんですけどね。「ザナドゥ」とか「大戦略」とか。その次にX68Kに代わってからは、天文計算に夢中だった。
*1 子がいたりしたらえらいことになる。
「~(チルダ)はURLで使わないほうが良い文字」*1ということなのです。
「URLのエンコーディングはUAが責任を持つべき」という議論もあるようなので厳密に考える必要はないかも知れないのですが、'%'で始まるエンコーディングが通らないWebブラウザというのは、それなりにまずいんじゃないかと。
これからが本番だというのに、先が思いやられる。>外務省
この間、なけなしのノートPCを自宅内サーバにしようと5.2.1-RELEASEを入れ、そのまま放っていたのですが、ひょんなことで、もう一台、ノートPCが手に入りました。そこで、これを自宅内サーバ用に使うことにしました。液晶パネルがきれいに割れているので廃棄されることになっていたのですが、本体は問題なし。前から持っているのよりいいのはバッテリーが生きていること。
同じく5.2.1-RELEASEを最小構成でインストールし、Apache、Postfix、MySQL、PHP、vsftpdなどなどをパッケージでインストール。Linuxとはそれなりに勝手が違うけど、比較的すんなりと。会社にいるFreeBSDの先達は「慣れれば(最小構成インストールは)10分でインストールできる」と言っているのですが、おっしゃるとおり。それに最小構成は本当に必要なものしか入らんですね。
Apacheは1.3系にしました。5.2.1-RELEASEのportsに入っているのは1.3.29のようです。
とりあえずXOOPSを動かしてみています。
あれ、何で今頃。。。と思ったら、もうすぐ日本天文学会の秋季年会なんですね。あ、これも「新着情報」に載せとかなきゃ。
なんだけど、縣助教授のおっしゃりたいことって「学校知」と「生活知」の矛盾の話じゃなかったっけ。たとえばDSPACEの林公代さんのコラムを参照。あれ、「こんなに正解率が低いとは思わなかった」などとあるし、ちょっとわからなくなった。
なんにしろ、この件のマスコミの記事は、「いまどきの小学生はこんなことも知らない」云々の議論に問題を単純化しすぎのように思います。天体の動きは中学校で教えるらしいので、「こんなことも知らない」という次元の話では、「では、いつ教えるのが適当か」という議論でおわってしまうのではないでしょうか。
最近、早朝(といってもたかだか朝7時前ですが)にもメールチェックをしています。もともと夜しか読まなかったのですが、今月はじめに惜しい思いをしたので、朝もチェックすることにしました。
それがこんなに早く報われるとは思いませんでした。発見できるかどうかは運かもしれませんが、天体を発見してから、なおも観測と捜索を怠らない、そういう熱意と努力があってこそでしょう。せいいっぱいの敬意を表したいと思います。
★ さかい [うちの研究室の学生がタイのタマサート大学に留学中ですが、なんともないようです。]
良く晴れたし、じゃあ星見に行こうかと思って月の出没時刻を確認したら、21時前には昇ってくるとのこと。
さすがに半月より太った月があるとちょっと厳しいので、やめておくことにしました。
なかなか自分の望遠鏡を使えていません。27日は明石に行く予定なので、次は4日かな。
★ フォーマルハウト [20日は,天文薄明から月の出までの1時間40分に賭けてプラトーさとみまで出勤して来ました。 本当はオートガイダーのテ..]
昨夜からの星見を終え、明るくなってから帰宅。帰って来てからもしばらくごそごそしていて、10時ごろから一眠りしましたが、目が覚めると14時半でした。
久しぶりに充実した夜でした。今晩もよく晴れていますが・・・連荘はきついなぁ。
「めざせ1000万人!みんなで星を見よう!」の合計人数が400万人を突破しました。
9月20日現在、410万7782人です。
個人・グループの集計での過去最高の報告人数は、8月28日、国立競技場で開催された「嵐」のコンサートでの70,000人です。そのレポートは、8月28日のレポート2ページ目の一番最後にあります。
星を見るというと、どうしても難しく考えてしまうのですが、こういうのでいい、いや、「めざせ1000万人!」的には、こういうのこそがいいのですよね。
10月3日は中秋の名月です。町内会のお月見や観月会などのイベントで、また月や星とは全然関係ない夜のイベント(野外コンサートやスポーツのナイトゲームや)ででも、月を見たとか、何か星を見たとか、そういう気軽なものでいいので、ぜひ報告してください。→めざせ1000万人!みんなで星を見よう
上洛。
天下統一のためではなく(だったら上京する)、京都大学総合博物館で開催中の特別展「明月記と最新宇宙像」見学のためです。
明月記(めいげつき 定家の子孫である冷泉家では「めいげっき」と呼ぶ)は、鎌倉時代初期の歌人、藤原定家が19歳(1180年)~74歳(1235年)まで56年間にわたり書き記した日記です*1。自筆本が冷泉家時雨亭文庫*2の他、各地に残されており、冷泉家所蔵のものは国宝に指定されています。
公家の日記は現代人が付ける日記とは異なり、有職故実、公務である儀式や行事の式次第を書き記して子孫に伝えるという役割を持っていました。明月記も定家が自ら体験したり収集した知識を多く書き残してあり、当時の公家社会を知る上で一級の資料とされています。一方、かに星雲に代表される過去の超新星の記録があり、天文学的にも大変貴重な資料とされています。
特別展では、冷泉家時雨亭文庫が所蔵する自筆原本のうち、寛喜2年(1230年)冬記が展示されています。巻物なので、そのうちの超新星を含む客星の記述の部分だけ広げて見えるようにしてあります。
客星についての記述は、11月8日にあります。それに先立つ11月1日に客星が出現し、関心を持った定家が陰陽師の安倍泰俊に過去の客星について調べさせ、その返事を明月記に記したものになります。書き写したのではなく、返書をそのまま貼りつけてあるようです。返書には、過去8件の客星がリストアップされていましたが、そのうち3件が超新星の記録と判明しています。
実は肉眼超新星の記録は、有史上、全世界で8件しかありません*3。そのうちの3件(1006年おおかみ座、1054年おうし座、1181年カシオペア座)が明月記に記されているのです。
出現年 | 星座 | 備考 |
---|---|---|
185年 | ケンタウルス座 | |
393年 | さそり座 | |
1006年 | おおかみ座 | 明月記に記載 月・太陽を除き、有史上最も視等級が明るくなった天体 |
1054年 | おうし座 | 明月記に記載 M1 かに星雲 |
1181年 | カシオペア座 | 明月記に記載 |
1572年 | カシオペア座 | ティコの星 |
1604年 | へびつかい座 | ケプラーの星 |
1987年 | かじき座 | SN1987A。大マゼラン雲に出現 |
この明月記が世界に知られるようになったのは、神戸のアマチュア天文家、射場保昭氏(1894-1957)が1934年に欧米の天文学者に紹介したことがきっかけです。会場では京都における天文学とアマチュア天文の経緯を、山本一清氏をはじめとする代表的な人物の事績を紹介する形で展示してい ました。
射場保昭氏については、最近までよくわかっておらず(パンフでも「謎のアマチュア天文家」と…)、最近になって親族の存在が判明し、その人物像が明らかになったとのこと。
明月記実物展示は9月28日までということです。
実物を見ることができたのは大変いい体験でした。超新星の記録は、年代的に定家自身が見たわけではない、ということは聞き知っていましたが、単なる聞き書き的なものではなく、陰陽師に調べさせてその結果を載せていたということを知ることができました。
定家の陰に隠れてしまいましたが、この記録の背景には、代々の陰陽師・天文博士がそれらの超新星を目撃して記録に残してきた、ということがあります。それを定家の依頼により安倍泰俊が過去の記録から拾い出しました。後世になり明月記の記述を発見した人がいて、射場氏が天文学者に紹介、実に800年の時をかけて、平安時代の目撃記録が天文学につながったということです。肝心の天文博士たちの記録は残っていないようなので、明月記は大変貴重な資料となっています。
四条大橋付近。名物の床。
もう一つの鴨川名物は見られず*1。もう少し北の方か?
テレビなんかで鴨川というとこの辺がよく映るでしょうか。特に京都が舞台の現代ドラマ*2でよく見かける飛び石もここです。
ここまで来ると参詣しないわけにはいきません。
糺の森
夢枕獏の「陰陽師」シリーズで、目玉を抜き取られた男の目玉がこの小川の中に捨てられていて、それを安倍晴明が探し出すシーンがありました。
安倍泰俊は安倍晴明の子孫です。
下鴨神社
みたらし社と御手洗川。みたらし団子の発祥の地
「君が代」の「さざれ石」とはこの石のこと。
明石へ戻ってきてから、天文科学館の観望会へ。今月はお客さん。
テーマは「M57・アルビレオ」。ただ曇りがちではたしてみられるかどうか。
プラネタリウムでの解説の後で出てみると、晴れの領域も広がって多少は星も。
最初に案内された4階でアルビレオを。順番が来て16階に向かいましたが、M57はこの時雲の中にあり見えないので、やっぱりアルビレオを。
4階に戻り、こと座のあたりが晴れているなと思ったら、天ボラさんの一人*1にM57入れて欲しいと頼まれました。
その場所ではこと座が見えないので、見える位置に移動し、導入。それから終了まで臨時に案内を務めました。
*1 まだ若葉マークの人でしたので。
★ いまいし [「林公代さんのコラム」は地球が丸いことと、地動説をごっちゃにしてますね。 「地球が丸い」というのは簡単な観測でわかる..]