FBでもTwitterでも見学に行かれた人のレポートが上がってきていますが、私も11月3日に見てまいりました。
今回の目玉は天井星宿図が初公開されることです。でも、私は壁画の実物を見ること自体はじめて。見学は20人ずつくらい単位で順番に。私は15時10分集合の22班。修理作業室に置かれた壁画を見学室の窓から覗き込むので距離があります。オペラグラスを借りて見学しました。
星宿図は、天の北極近くの星のまわりを二十八宿が取り巻いたもの。キトラ古墳の天文図のような、実際の星の配置を反映したものとは異なります。石板が全体に赤茶け、ところどころはがれてぼこぼこになっていましたが、それでもかなりな星が残っているようでした。
ただ、金箔で表現された星は、正面から向き合っても全く見えませんが、照明の反射をうまく利用すると肉眼で配置がわかります。逆にいただいた資料と突き合わせて、 畢宿(ヒアデス星団)と觜宿は確認。さらに手前の房宿(さそり座の頭)も。房宿の左手は、位置的におそらく心宿、尾宿で、さそり座コンプリートと言いたいところですが、星のつながりに自信なし。
畢宿が見えたならその横は昴宿(すばる)、さらに畢宿の向こうに参宿(オリオン座)があるはずですが、参宿はオペラグラス越しに目を凝らしてもなぜかわからず。昴宿もなぜかわからず。参宿昴宿ともに「見えた」という人もいるようなのですが。
高松塚古墳壁画の代表的な存在である西壁の女子群像は、かなり修復が進んだようで、思ったよりも綺麗な状態でした。
高松塚古墳壁画の修復は10年の計画で、完了はもう数年かかります。修復が終わっても、当面は古墳に戻さず、古墳に近い別の場所で、保存公開の方針とのことです。
ガラス越し、離れた位置ではありましたが、やはり本物を見るにまさるものはありません。
高松塚古墳壁画見学の前にはレンタサイクルで飛鳥一帯をぐるぐると。
到着して最初に向かったのが石舞台古墳。
実は石舞台古墳が目的ではなく、その脇のお店で古代米御膳をいただくのが目的(^^)。山陽電車の日帰り切符を使ったのですが、切符についていたパンフに載っていたのでした。
ところで、古墳の裏側に回ると、お供えがしてありました。ある意味飛鳥で一番観光地っぽい石舞台古墳ですが、お墓であることを忘れてはいけません。そのことを改めて気づかされました。
飛鳥に来ると必ず訪れる遺跡。明石のまわしものとしては、飛鳥に来てここに詣でないというのはありえません。
と伝えられている遺跡。蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変の舞台。
ここから西に、蘇我氏の屋敷があった甘樫丘、北には入鹿暗殺の後で中大兄皇子らが陣をはった飛鳥寺(法興寺)が見えます。
前にも書いたけど、ほとんど一つの村の中のような地理範囲で日本の歴史が動いたのでした。
法興寺、元興寺とも。元興寺は、いま奈良町にある方のお寺をこの名前で呼びますね。
日本最初の本格的寺院(焼失。現在の建物は後世の再建)で、本尊の飛鳥大仏(釈迦如来坐像)も日本最古の仏像。609年に作られ、以来この場にずっとおられます。
高松塚古墳壁画の帰りにはキトラ古墳まで回ってきました。一帯は公園整備の工事の最中。墳丘もきれいに整えられています。
墳丘の手前には石室壁画をかたどった「乾拓板」なるものがいくつか。薄い紙をあてがって鉛筆でこすると壁画が写し取れるという…今度行ったら紙をもっていこう。