奈良は学生時代の四年間を過ごしたところ。このところ年に一度は行っています。
今年、興福寺では南円堂と北円堂を同時に開扉しています(6月2日まで)。また、奈良国立博物館では當麻寺の當麻曼荼羅の特別展を、さらに東大寺では法華堂(三月堂)の拝観再開と、いろいろ見るべきものがあり。さらに、いまだにお会いしたことのない秋篠寺の伎芸天の拝観も今回の目標です。「目的」じゃなく「目標」。なにせいつもそれなりに予定を詰め込むので回り切れないことも。だいたい、奈良公園一日で回れません。
近鉄奈良駅の東側には屋根がかけられていました。まだ工事中のようで、広場は囲われていました。
行基像も囲いの中。「きんならぎょうきまえ」といえば待ち合わせ場所の定番でした。
ここから登大路を東進して興福寺へ。
興福寺はいま中金堂の再建工事中です。境内のほぼ中央を大きな覆い屋が占めています。
無料休憩所に行き、お昼ごはんを確保。JR東海と興福寺がコラボレーションして販売している駅弁「心」。お店の人に何で知ったか聞かれました。テレビでも流れたみたいで、問い合わせが多いとのこと。早めに確保して正解かも。
特別公開されている南円堂は、813年、藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父内麻呂(うちまろ)の冥福を願って建立しました。現存の建物は創建以来4度目の建立となります。本尊は不空羂索観音菩薩。その周囲に四天王像が安置されています。西国三十三所の九番札所でもあります。あまり待つこともなく入堂。
不空羂索観音像は、座像で、思いのほか大きく、ふくよかなお顔をされています。観音様の印象としては適当でないかもしれないのですが、どっしりと頼もしい仏様です。
堂内は一方通行で、混雑を避けるため立ち止まらないようにとアナウンスされていましたが、何周しても構わないので、ぐるりと二周。
不空羂索観音像も四天王像も、平重衡の南都焼き討ち後の再興の際、仏師康慶によって造られました。ただし、もらった資料によると、康慶の四天王像は仮金堂に安置されている四天王像の方であると考えられているとのこと。南円堂の四天王像はもともとどこにあったのかが話題になっているようです。
拝観券と記念品の匂い袋
お弁当の「心」にも記念品の引換券が付いていたのですが、こちらは行使し忘れ。しまった・・・・
南円堂は土足禁止。拝観券と一緒に下足袋を渡されます。あちこちで評判なのですが、この下足袋がとてもいいデザイン。確かに履物を入れるのがもったいないほど。入れましたけど(^^)
帰宅してから母にあげると、早速きれいに洗って再利用を試みていました。縫製がしっかりして丈夫なので全然問題なし。かなり長持ちしそうです。
南円堂から三重塔を見る。
721年、興福寺創建者である藤原不比等の一周忌に、元明(げんめい)太上天皇と元正(げんしょう)天皇が長屋王に命じて建立されたお堂です。南円堂と同様、現在の建物は再建ですが、現存する興福寺伽藍でももっとも古い建物になります。本尊は弥勒如来坐像。そして四天王像と無著・世親菩薩像、いずれも国宝に指定されています。
四天王像は、南円堂と異なりユーモラスな表情をしています。無著・世親菩薩は互いに対照的な表情。
北円堂を出てから東金堂、国宝館へ。阿修羅像は相変わらずの人気です。
ご飯を食べようと、お弁当を広げられそうな場所を探して猿沢池のあたりをうろうろ。ところが風が出てきたので、けっきょく元の無料休憩所に舞い戻りました。
「心」は精進料理をベースにしたもの。物足りないかというと充分な味と量。蒲焼もどきは、これはもどきでもなく別の料理でしょ美味しいけど、という感じでしたが、なにはともあれ、とても美味しくいただきました。白米にふりかけられた精進ふりかけは、国宝館のミュージアムショップで売っていたので購入しました。
精進ふりかけ「あを」「丹」
第三段「よし」も発売されるようです。
「心」はお昼の時間を待たずに売り切れた模様。やっぱり早めに確保して正解でした。
奈良国立博物館へ。當麻寺の當麻曼荼羅をテーマにした特別展が開催されています。
當麻曼荼羅は中将姫伝説で知られる極楽浄土を描いた曼荼羅*1。いくつも写しが作られていますが、原本(「根本曼荼羅」=国宝「綴織当麻曼荼羅図」)も現存しています。今回の特別展では、まれにしか公開されない根本曼荼羅も公開された*2とのことですが、5月6日で終了し、入れ替わりに、写しである文亀本が展示されていました。大きなものですが、こちらもすっかり褪せてしまっています。それでも、輪郭から全体の姿が、近寄ってみるとかすかに詳細な姿が何とか読み取れました。
いずれにせよなんとも巨大なもので、あの時代によく作り上げたものだと思います。
*1 「曼荼羅」は密教の図像名を借りた俗称で、現代における正式名称は「浄土変相図」とのこと。当麻曼荼羅 - Wikipediaより
東大寺へ。するとまず大仏様にお参りしなければなりません。駐車場に観光バスが次々と入り、制服を着た子供たちが続々とやってきます。奈良と言えば修学旅行の定番の訪問地。校外学習や遠足も。彼らに混じって大仏殿を参拝。
大仏殿と制服の群れ(^^)
大仏殿だけはフラッシュさえ焚かなければ撮影可。
「鎮壇具」とは、建物を建てる際、地の神をまつるために地下に埋められる数々の財宝のこと。東大寺では明治40年~41年に大仏須弥壇の周囲から鎮壇具が発見、発掘されました。保存修理が完了したということで特別展で公開されています。
実は予備知識なしで行ったのですが、鎮壇具の中に刀身に北斗七星の象嵌がある大刀が含まれています。これは注目しないわけにはいきません。
まあ肉眼で見てわかるようなものではありませんでした。わかるようならとっくに見つかっていますね。しかも本当に端っこにちょっと線がある程度。よく気が付いたものだと思いました。
東大寺ミュージアム
今回の目的地の一つ。私はいままで三月堂を拝観したことはありません。ちょうど、修理のために長らく拝観を停止していたものが再開したということで、いい機会です。
東大寺建築のなかで最も古く、同寺に現存する数少ない奈良時代建築。創建時期は740年から748年頃と考えられ、東大寺建立以前からここにあったことになります(via Wikipedia)。本尊は不空羂索観音菩薩。三月堂修復の間、東大寺ミュージアムに展示されていましたが、修復終了に伴い戻されました。
一歩入ると空気が違いました。拝観のお客さんは他にも大勢おられたのですが、あまり観光客然とした雰囲気がありません。
空気のもとは、奥におられました。不空羂索観音菩薩立像。八本の腕の二本で羂索を持ち、厳かに立たれています。
仏様たちと向かい合うように床几が置かれ、みんなそこに腰かけて静かに仏様を見つめています。私もその中に加わり、正面が空いたのを見計らって合掌しました。
実はあまり美術品としての仏像の価値はよくわからないのですが、仏像は歴史遺物や美術品である以前に信仰の対象と考えています。私自身それほど信仰があるわけでもありませんが、こういう場で感じる空気というものは、美術品から生まれるものではないように感じています。また、信仰の有無にかかわらず、手を合わせるぐらいはしないと。
三月堂の隣はお水取りで有名な二月堂。階段を上ると風が気持ちいい。ツイッターでつぶやいていると「西日が当たる時間じゃないですか?」と返信されたのだけど、雲もあったせいかあまり気になりません。
扉が開け放たれ、内陣が見えていて、読経の声が聞こえてきました。内陣を覗いたのは初めて。本尊は大観音、小観音の2体の十一面観音像ですが、「何人も見ることを許されない絶対秘仏」(via 東大寺:二月堂)とのことで、直接見ることはかないません。
閼伽井屋
「修二会」では、この建物の中にある井戸(「若狭井」)から水(「御香水」)を汲んで二月堂の本尊にお供えをします。「お水取り」の別名はここから。
裏参道てくてく歩いて下りていきます。
降り切ったところからそのまままっすぐ街の中へ。観光客からも車の列からも離れた静かな街路を歩いていくと、奈良女子大学、通称「奈良女」の前へと出ます。
学生時代、奈良女と特に交流はありませんでした。ただこのあたりにコピー屋があって、時々通ったことがあります。大人しかった私の学校と比べて、当時は学生運動がまだ盛んだったと記憶します。
ここから近鉄奈良駅に向かう花芝町から東向北町一帯は、小さな商店街で、ささやかながら学生街っぽい感じがなくもないです。
近鉄奈良駅から西大寺駅、そこから最後の目的地秋篠寺へ。私の足で歩けない距離ではありませんが、時間があまりないのでタクシーで移動しました。運転手さんに「ぎりぎりやねぇ」と言われました。
山門と境内
秋篠寺の境内はこんもりと茂った林に覆われています。創建時はいわゆる七堂伽藍がそろっていましたが、ここも火災でほとんど失われ、残った講堂を本堂に転用、さらに鎌倉時代に再建しました。本堂は現在国宝に指定されています。本尊は薬師三尊像。
本堂
本堂に入ると、横長の須弥壇に仏様がずらり。中央は本尊薬師如来。その両脇侍は日光菩薩、月光菩薩ですが、月光菩薩は中に鎧を着ていたりして、購入した資料によれば元は帝釈天、日光菩薩は梵天ではないかとのことです。その帝釈天は須弥壇の一番東側に立像が安置されていますが、帝釈天とされたのは明治以降とのことで本当の尊名は不明。その他、十二神将や地蔵菩薩像などが所狭しと安置されています。
そして一番西、秋篠寺で最も有名な伎芸天。初めてお会いしました。
頭部は奈良時代の脱乾漆造、首から下は鎌倉時代に木造で補われたものですが、見事に調和して違和感がありません。気品ある顔立ち、しなやかな身のこなし。お顔は見る方角によって表情が変わるとのこと。人気があるのもうなずけます。実は伎芸天が本来の尊名であるかどうかは不明なのですが、最もふさわしい尊名であると私も思いました。
今回も駆け足で巡りました。なかなか奈良公園から他へと展開できません。やはり日帰りは無理がありますね。次は泊まろう。