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 キトラ古墳から剥がされた白虎の特別展示にやってきました。
キトラ古墳から剥がされた白虎の特別展示にやってきました。 なお、館内は撮影禁止なので、写真はありません。悪しからず。
なお、館内は撮影禁止なので、写真はありません。悪しからず。 水落遺跡は甘樫丘のすぐふもとにあります(写真背景の木立が甘樫丘)。人がいるのでだいたい広さがわかるかと。家一件ぐらいの広さです。
水落遺跡は甘樫丘のすぐふもとにあります(写真背景の木立が甘樫丘)。人がいるのでだいたい広さがわかるかと。家一件ぐらいの広さです。
 漏刻があった位置。木枠は水路の位置かな。
漏刻があった位置。木枠は水路の位置かな。
 蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅が建てられたとされる丘です。行ってみて気がついたのですが、甘樫丘は飛鳥寺や板蓋宮などのあるこの地域の西に壁のように存在しています。
蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅が建てられたとされる丘です。行ってみて気がついたのですが、甘樫丘は飛鳥寺や板蓋宮などのあるこの地域の西に壁のように存在しています。
 登ってみると、ほんとに見晴らしがいいです。写真中央は飛鳥寺。なるほど何もかも見通せる。
登ってみると、ほんとに見晴らしがいいです。写真中央は飛鳥寺。なるほど何もかも見通せる。
 甘樫丘から降りて道標を見ると、板蓋宮跡まで0.6kmとあります。行ってみました。
甘樫丘から降りて道標を見ると、板蓋宮跡まで0.6kmとあります。行ってみました。
 板蓋宮跡と飛鳥寺の間にあります。まずは平成12年に発見された亀形石造物です。入場料300円。
板蓋宮跡と飛鳥寺の間にあります。まずは平成12年に発見された亀形石造物です。入場料300円。
 「亀形」というのは「亀みたいな形」ではなく、本当に亀を象っています。
「亀形」というのは「亀みたいな形」ではなく、本当に亀を象っています。
 亀形石造物は酒船石のある丘のすぐふもとで発見されました。ということで酒船石です。
亀形石造物は酒船石のある丘のすぐふもとで発見されました。ということで酒船石です。
 人がいるのでだいたい大きさがわかりますね。
人がいるのでだいたい大きさがわかりますね。
 飛鳥寺です。創建時はもっと大きかったらしい。飛鳥大仏が拝観できるのですが、見ずに境内を素通りしました。
飛鳥寺です。創建時はもっと大きかったらしい。飛鳥大仏が拝観できるのですが、見ずに境内を素通りしました。
 入鹿の首塚です。飛鳥寺の、創建時の西門のすぐ外側にあります。まず手を合わせてから写真を撮らせてもらいました。
入鹿の首塚です。飛鳥寺の、創建時の西門のすぐ外側にあります。まず手を合わせてから写真を撮らせてもらいました。 さて、どうやって帰ろうかと思案していると、飛鳥駅行きのバスがありました。途中、石舞台古墳を通ります。それならば寄らない手はない、と、飛び乗りました。
さて、どうやって帰ろうかと思案していると、飛鳥駅行きのバスがありました。途中、石舞台古墳を通ります。それならば寄らない手はない、と、飛び乗りました。 玄室は、写真やテレビで見るたび、いつか天井の石が落ちてくるんじゃないかとひやひやしたものです。
玄室は、写真やテレビで見るたび、いつか天井の石が落ちてくるんじゃないかとひやひやしたものです。 で、現状です。工事現場ですね。見に来たアベックが「こんなの古墳じゃない」。。。同感。
で、現状です。工事現場ですね。見に来たアベックが「こんなの古墳じゃない」。。。同感。実は先週の星見の帰途に鹿をはねてしまい、前部を損傷したのですが、飛鳥をまわっている間に、修理完了の連絡をもらいました。
そこで帰り道に立ち寄り、車を引き取りました。
車は直せば済むけれども、はねた鹿も、そのまま道路を飛び出していったけれども、ただでは済んでいないはず。心が痛むことです。
学生時代にあの辺を自転車で巡ったことがありますが、あちこち様子が変わっているのに驚きました。あ、水落遺跡はもちろん外していません(笑)