編集後記


2006年05月27日(土) 飛鳥へ。。。。 [長年日記]

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飛鳥資料館

飛鳥資料館 キトラ古墳から剥がされた白虎の特別展示にやってきました。
9:50に近鉄橿原神宮前に到着。その時点で75分待ちとの情報です。そして奈良交通の臨時バスで10:20に現地に到着すると、90分待ちにのびています。すごい人気だ。指定された時間に優先的に見学できる整理券も配られているのですが、着いた時点では14:00からの見学分の整理券とのことで、そのまま並んで待つことにしました。

白虎と対面

飛鳥資料館その2 なお、館内は撮影禁止なので、写真はありません。悪しからず。
アナウンスされたよりはるかに早く対面できました。展示物もいろいろあるので、並んでいる間も苦になりません。後ろにいた古代史マニア風のオジさんがうっとおしかったけれども。 移動しながらの見学を、と繰り返しアナウンスされていましたが、みなさん立ち止まってはじっくりと眺められています。まあ、そうですよね。私も後続の人に気を使いながらじっくりと。
でもこういうの感想って苦手なんです。一見すると陶器に描かれたような質感に思えました。これまで写真などで見たのとはやっぱり迫力というかなんというか、違いますね。一本一本の線が生き生きしている、というのかな。
やはり小さいです。後で、同じ部屋にあった石室の実物大模型で、パンフレットを当てて確かめてみましたが、たとえば朱雀はA4サイズの紙からややはみ出す程度です。天文図もA3いっぱいぐらい。
(写真は出た後。この時点で45分待ち。以後、だいたいこれくらいの待ち時間で推移していたみたい)

水落遺跡

白虎を見た後の予定は全然考えてなかったのですが、これだけではもったいない。心配した天気も、どうやら雨になることはなさそうです。晴れれば夕方からの別の予定があったのですが、それを果たせるほどの好天でもない。
レンタサイクルを借りてもよかったのですが、徒歩でまわることにし、水落遺跡と甘樫丘へ向かうことにしました。特に水落遺跡は外せません(笑)。

水落遺跡全景 水落遺跡は甘樫丘のすぐふもとにあります(写真背景の木立が甘樫丘)。人がいるのでだいたい広さがわかるかと。家一件ぐらいの広さです。
漏刻の位置 漏刻があった位置。木枠は水路の位置かな。

甘樫丘

甘樫丘を東から望む 蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅が建てられたとされる丘です。行ってみて気がついたのですが、甘樫丘は飛鳥寺や板蓋宮などのあるこの地域の西に壁のように存在しています。
甘樫丘から飛鳥寺を見下ろす 登ってみると、ほんとに見晴らしがいいです。写真中央は飛鳥寺。なるほど何もかも見通せる。

伝飛鳥板蓋宮跡

伝飛鳥板蓋宮跡 甘樫丘から降りて道標を見ると、板蓋宮跡まで0.6kmとあります。行ってみました。
板蓋宮から飛鳥寺へ向かって北へ歩きました。甘樫丘が常に西に広がっています。蘇我親子がここに邸宅を建てたわけがわかったような気がします。甘樫丘と東の山とに挟まれた飛鳥地域はそんなに広くはなく、この丘がまるごと城砦化されると、威圧感は半端ではないでしょう。

酒船石遺跡・亀形石造物

亀形石造物 板蓋宮跡と飛鳥寺の間にあります。まずは平成12年に発見された亀形石造物です。入場料300円。
亀形石造物の拡大 「亀形」というのは「亀みたいな形」ではなく、本当に亀を象っています。
酒船石 亀形石造物は酒船石のある丘のすぐふもとで発見されました。ということで酒船石です。
酒船石 人がいるのでだいたい大きさがわかりますね。
竹やぶの中に、どんと置かれていました。実はこの丘自体が、少なくとも頂上付近は人工的に築かれたものだそうで、その石組みなどが発見されています。

飛鳥寺と入鹿の首塚

飛鳥寺 飛鳥寺です。創建時はもっと大きかったらしい。飛鳥大仏が拝観できるのですが、見ずに境内を素通りしました。
入鹿の首塚 入鹿の首塚です。飛鳥寺の、創建時の西門のすぐ外側にあります。まず手を合わせてから写真を撮らせてもらいました。
背景は甘樫丘です。入鹿暗殺時、中大兄皇子たちは、飛鳥寺西門に陣を構えて、甘樫丘の蘇我蝦夷と対峙したとのこと。この距離です。当時の緊迫感が感じられます。

石舞台古墳

石舞台古墳 さて、どうやって帰ろうかと思案していると、飛鳥駅行きのバスがありました。途中、石舞台古墳を通ります。それならば寄らない手はない、と、飛び乗りました。
石舞台古墳はさすがに観光地化されています。公園としてきれいに整備されていて、駐車場も広い。人も多い。拝観料(お寺みたいです)250円。
よく写真で見る側には若者の団体がいて記念写真を撮っていたので、反対に回って写真を撮りました。周囲を広い堀で囲まれています。

玄室から入り口を見る 玄室は、写真やテレビで見るたび、いつか天井の石が落ちてくるんじゃないかとひやひやしたものです。
入ってみると天井はやっぱり隙間だらけです。が、落ちてきそうな感じはありません。安心(?)しました。

先の若者の団体、その一部が古墳の周りでボール遊びをして、放送で注意されるなど顰蹙をかっていました。だいたい、こんなところに来るのにボールを持ち歩くなんて、ファッションなのかな。邪魔でしかないと思うんですが。
私服だったけれども、どうも修学旅行か遠足のようです。なぜ注意しない>引率者。

高松塚古墳

再びバスに乗り、飛鳥駅へ。途中、あの、壁画が危機にさらされている高松塚古墳を通りますが、いくら危機に瀕しているからといって生の壁画が見られるわけじゃなし、以前来たことがあるので素通りしました。
ところが、駅に着くと電車が出てしまいました。次の電車まで間があるので、結局高松塚に歩いて引き返しました(つまりその程度の距離)。

高松塚古墳 で、現状です。工事現場ですね。見に来たアベックが「こんなの古墳じゃない」。。。同感。
自転車で現れた2人連れが「中に入れるわけじゃないんだ」。あ、知らなかったんだ。昔からそうです。
壁画の複製がすぐ側の施設で見られますが、入らずに駅へ向かいました。
飛鳥駅からあべの橋行きの急行に乗り、帰途につきました。

車が直った。

実は先週の星見の帰途に鹿をはねてしまい、前部を損傷したのですが、飛鳥をまわっている間に、修理完了の連絡をもらいました。

そこで帰り道に立ち寄り、車を引き取りました。

車は直せば済むけれども、はねた鹿も、そのまま道路を飛び出していったけれども、ただでは済んでいないはず。心が痛むことです。

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ふくだ (2006年05月28日(日) 22:35)

学生時代にあの辺を自転車で巡ったことがありますが、あちこち様子が変わっているのに驚きました。あ、水落遺跡はもちろん外していません(笑)


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