父の法事は無事に終わったのでした。ちょっとしたハプニングはあったけど。
段取りはぜーんぶ母任せで楽しておりましたが、後の会食の席での挨拶したり、お給仕してまわるのは私の役目。毎度思うんだけど、法事の挨拶の方が葬式での挨拶より緊張するというのは妙だ。身内ばっかりなのに。葬式の時は気が張ってたからか。
次は何年先だっけ。こういうのの段取りも覚えねばいかんなぁ。
もっとふわふわになろうと思ってタイトルを変えてみました。
NASAの発表。これは末端衝撃波面を通り抜けて向こう側に行ってしまった、という意味でしょうか。2003年にも到達したか接近中というニュースがあったので意味の取り方に迷いました。
登録できるようになりました。以前は、TXTレコードの登録でサブドメインは指定できませんでした。しかし、DKIMでは、たとえば hoge._domainkeys.local-group.jp のようなサブドメインのTXTレコードに公開鍵を登録しなければなりません。それができるようになりました。ほかのDynamicDNSのサービスの事情はわかりません。
実は、25日の朝問い合わせたら、その日の夕方には「対応した」という返事が返ってきたのです。もう感激ものです。Good Job!
天文科学館の星の友の会のジュニア部門。の、勉強会。 子午線の専門家、ふくださんを案内役に、子午線標識をいくつか見て回りました。 詳しくは河野君の日記を参照。おわり。
で、終わらせてしまうとあまりに期待通りなので・・・
山陽電鉄人丸駅付近。駅のホーム上に子午線が引かれているのは知られていますが、実はホームの外側の高架橋にも表示があります。
その拡大。
国道2号線沿いの標識。天文科学館の案内標識になっていますが、1933年にここに標識が建立されました。見たことはありませんが、カバーをめくると、中に本物(?)が隠れています。明石市指定文化財。
国道2号線沿いの標識から天文科学館を見る。
天文科学館の時計台と人丸駅の標識が一直線に並んでいません。そのわけは福田さんのページへ
大日本中央標準時子午線通過地識標。明石市に一番最初に立てられた標識です。1910年の建立。最初は参謀本部陸地測量部の地形図に基づいて建てられましたが、
1928年に天文測量に基づく子午線が決定されたのを受けて現在の位置に移設されました。実は1998年にもやや位置が移動しています。
子午線交番。大日本中央標準時子午線通過地識標は交番の脇にあります。「大蔵交番」が正式名称のようですが。どこかで見たような形をしていますが。
天文科学館の裏手、人丸山の上、月照寺の前にあります。もとは1930年に月照寺境内に建立、戦争で被害を受け、1951年の天文測量に基づいて現在の位置に移設されました。トンボは日本の別名である「秋津島」に由来します。
フェニックス探査機が火星に着陸しました。
で、すごいなあと思ったのが、もうフェニックスから送られてきた画像を公開しているんですよね。
ええと、「かぐや」はどうだったっけ。何も無しということはなかったと思うけど。
「月の科学」(青木満 著、ベレ出版)によると、「かぐや」では管制室のセキュリティが厳しくて窓越しの取材さえできず、しかもこれは今後の標準的な対応になりそうだということでしたが、NASAのWebサイトには、フェニックス着陸時の管制室の様子の録画が公開されているんですよね。
もっとも、ISASの外部評価によれば、ISASも「やりすぎ」なくらいよく情報を出しているそうですが。