編集後記


2008年03月29日(土) [長年日記]

別府鉄道 土山線

最近なんとなく鉄分が増えてるんじゃないかと思うのは気のせい、と、強く思うことにして(だって、キハだのクモだの全然興味ないもん)、播磨地方の廃線跡の一つ、別府鉄道を歩いてみることにしました。

別府鉄道(1915年設立、1984年鉄道事業から撤退)は、現在の加古川市別府(べふ)にある多木製肥所(現、多木化学)から肥料を運び出す鉄道として開設されました。別府から北西方向の高砂線野口駅までを結ぶ野口線が1921年に、東方向の山陽本線土山駅まで伸びる土山線が1923年に開業、貨物が主でしたが旅客も運んでいたようです。1984年に全線廃止。ただ、会社は別府鉄道の名のままタクシー・バス事業を営みながら現在も続いています。路線図はこちらに


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まず、距離が短い土山線を別府から土山まで行ってみることにしました。この地図だと、別府―土山間を県道553号線が一直線に結んでいますが、この道ではなく、その一本北、川崎重工業の南端を通る道になります。

山陽電鉄(山電)別府駅付近


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野口線の跡地の遊歩道は以前から知っていたのですが、土山線はなかなか見つかりませんでした。駅から南の多木化学のあたりまで行き、そこから引き返してうろうろ。土山駅からたどった方がよかったのかも。

別府鉄道株式会社
別府鉄道株式会社。廃線になっても、「鉄道」の名は社名にしっかり残っています。

ところが、ふたたび別府駅付近に戻ってきた時、別府鉄道は山電と交差している事に思い当りました。別府駅は高架になっていて、そのすぐ東を野口線跡がくぐっています。同じように土山線もどこかで山電の高架下を通っているはず。

そう思って高架下を歩いてみると、ありました。それらしい道が。

道の南の外れ
土山線跡の南の外れ。この先は駐車場と店舗。これじゃわからんはず。

反対側を見る
反対側を見る。こっちへ向かって歩いて行きます。

山電と交差
山電との交差。

別府〜大中遺跡

田園風景の中を歩く

道はすぐ街を抜け、田園風景の中へと入ります。もうかなり暖かい。風がまだ冷たい、しかもわりあい強く吹いています。この風が、後で・・・・

貨物車の残骸?

大中遺跡〜であいのみち


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やがて緑の茂った一帯に突き当ります。弥生時代中期から古墳時代中期にかけての、この地域を代表する遺跡、大中遺跡です。

大中遺跡の入口 線路跡はここから「であいのみち」となる

遺跡は公園として整備され、竪穴式住居が何棟か復元されています。

竪穴式住居 竪穴式住居

その南には、大きく目を引く櫓が・・・・

兵庫県立考古博物館
兵庫県立考古博物館。昨年10月に開館したばかりの新しい施設。

しかし時間があまりないので、見学は次の機会ということにして、でも、やぐらには登ってきました。

鉄道跡は、ここから、「であいのみち」と称して遊歩道として整備されています。

「ふるさと」が弾ける吊橋

大中遺跡から先は、犬を連れた人や散策する人などでにぎわっていました。カメラをあちこち向けるのも少々気兼ねします。

遺跡を東へ抜けたところで、いきなり、吊橋が出現しました。

橋

この橋、欄干の内側に鉄琴が埋め込まれています。東から順にたたいて行くと「ふるさと」が演奏できる仕掛けになっています。

鉄琴 拡大 楽譜

であいのみち〜土山駅

であいのみち
私が住んでいるところにもこんな場所があったらいいのに。

橋を抜けた先にも公園が広がります。そこを抜けると住宅街で、右手には一戸建て、左手には集合住宅が並びます。

やがて前方をJRの電車が走るのが見えました。終点のJR土山駅です。

土山駅手前付近


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後日談

土山駅から電車に乗り、帰途につきました。そのあたりからどうも体調がおかしかったのですが、家についてみるとどうも熱っぽい。体温を測ると・・・・38.0度!?

歩いていると暑くて、上着を脱いだりしていたのですが、風はまだ冷たく、しかもわりあい強く吹いていました。それにやられたかもしれません。

結局、翌日も一日寝込んでしまいました。

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素麺 (2008年04月05日(土) 21:31)

懐かしいですね、、、。<br>別府鉄道に多木化学(多木肥料という名称で記憶に残っています)。高校生の時に多木化学の工場見学をした記憶があります。肥料の原料を作る化学プラントが印象に残っております。


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