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明石市立天文科学館星の友の会の今年度第一回例会です。
出席者は初入会の人が約半数。今年から天ボラも始まり、そちら方面から参加してこられた人たちも多く、これまで以上に多彩な顔ぶれになっています。
まずは会長(天文科学館の館長さん)の挨拶。リニューアルオープン以来相当の入館者があったとのこと。
6月10日に7000人が来場したことは報道されていますが、これがどれくらいすごいかと言うと、プラネドームの定員が350席、消防法上の天文科学館自体の入場定員が800人。7000人が同時に存在したわけじゃないとはいえ、よく床が抜けなかったと・・・
続いて、私たち幹事が紹介されました。私は手短に自己紹介を済ませましたが、他の人達はしっかり語られていました。ならば私も一時間ぐらい語るのでした(って、そんなに何を話すのか)。
今回の例会のメインテーマは、新しくなった常設展示を前にしたギャラリートークでした。
トークの対象となったテーマは2つ。新たに展示に加わった宇宙開発の部、それに特別展。特別展は学芸員たーさんの担当、そして宇宙開発は、展示されている模型の監修をされた山本よしふみさん。
山本さんはオリジナル模型の製造販売を行う会社の代表で、2006年からはアポロ計画を題材にした模型に取り組まれています。宇宙船や探査機の模型はよくある展示ですが、天文科学館に展示された模型は山本さんの非常に強いこだわりが入っています。
たとえばアポロ11号月着陸船は、アームストロング船長が月面に降り立ったとき、最初にその姿を捉えたカメラを再現しています。このカメラを再現した模型は、他の施設にはないらしい。
ボイジャー2号はアンテナの構造を省略せず丁寧に組み立てられています。もちろんゴールデンディスクつき。日本の月探査機「かぐや」も、いろいろなところに展示されている中ではもっとも出来がいいとのこと。
エンデバーはペイロードベイを閉めていて、「打ち上げ時か再突入時かよく分からない」姿ですが、ベイを開けると「いつのミッションの時をモデルにしたか」とツッコまれそうなので閉めたとか。マニアの斜め上をいく対応ぶりです。
そういった模型のこだわりの間に、アポロ計画の時の宇宙飛行士の一言や帰還時のエピソードなどもたくさん。アポロ12号の時、TV中継が途中で途絶え、映像がこないものだから米国民は一気に関心を失った、だから次のあの13号はあまり関心を呼ばなかった、事故が起きるまでは。とか、帰還した宇宙飛行士がどんな病原体を連れて帰ってくるかわからないので隔離施設に入れられたが、その施設はキャンピングカーを改造したもので3台作られた、うち1台はエボラ出血熱の際に使用された後行方不明になり、最近になって農作業の休憩小屋に使われているのが見つかった、とか(このあたり、どこかに書いているかもしれませんが)。
続いて特別展「時の展覧会2010」のギャラリートークです。
6月10日の「時の記念日」は、天智天皇が漏刻を使って初めて時を知らせたという故事に由来します。制定されたのは大正9年(1920年)で、今年は90周年にあたります。
制定のきっかけとなったのが同年に東京教育博物館(現在の国立科学博物館)で開催された「時の展覧会」でした。90周年の今年、時の展覧会をしのぶ特別展が天文科学館で開催されています。
この展覧会は「生活改善」が目的、たーさん曰く「余計なお世話」。
たしかに展示物を見ると「婦人が一生のうちに化粧に費やす時間」とか、確かに余計なお世話です。
鉄道網の東京からの等時線地図は、山陰本線が全通していなかったり、朝鮮半島まで含まれていたりと時代を感じさせるものでした。
最後に天文ホールに戻ると、山本さんから、「かぐや」ペーパークラフトのデータがCDで配られました。さてどうしよう。