編集後記


2009年11月03日(火) [長年日記]

姫路城搦手口(からめてぐち)

間もなく閉鎖と聞いて、登ってきました。

姫路城中曲輪以内の全体図。以後の説明はこの図を見ながらの方がいいかもしれません。

搦手口は、姫路城の東、市立美術館の脇にあります。

   

入場口の手前に2本の木が植わっています。

昭和の大修理の際、新しい西心柱として、岐阜県から切り出された木曽檜が使われました。その伐採地に生えた二代目をここに移植したとのこと。でも、どっちだろう。両方?

入場口

ここから門を三つ。

「との四門」

「との二門」

「との三門」があったはずですが、現存せず。

道は急です。

しかし、せっせと登って行くと、すぐ前方に「との一門」が。

「との一門」

秀吉が置塩城から移築したと伝わります。「との一門」だけでなく「と」の門は板張りで、「四」「二」は簡素な造りです。

大手門に比べて天守閣へのコースは結構近いようですが、それほど道が広いわけではなく、高い石垣に挟まれ、大兵力の投入は難しそう。

備前丸にたどりつくと、普段公開していない折廻(おれまわり)櫓が公開されていました。

折廻櫓はここ。

巡回コースで、天守閣南側の備前丸に入る門(備前門)に続く櫓です。

入ってみます。

二階建て。二階には、襖などが入っていて、炉や押し入れがあり、住宅風になっています。他の建物とは様相が異なるのに興味が惹かれました。

   

炉があったということは茶室か?と思ったのですが、茶室なら他に水屋などがあるはずですね。流派によるでしょうか。

一番西側の壁は斜めになっています。この向こうに大天守の載る石垣があります。石垣を築いてからこちらの櫓を建てたのでしょうか。

天守には登らず、大手門へ向かって降りて行きます。

三の丸広場の北には、昭和の大修理で取り外された、西の心柱が保存されています。

もとは、下半分は樅、上半分は栂の2本を継いで1本にして使っていました。新しい柱は1本柱にする予定が、輸送中に折れ、結局2本の柱を継いで入れ替えています。

いままで行ったことがない、三の丸の西側、千姫ぼたん園の方へ行ってみました。 こちらは、「本城」とよばれ、本多氏以降の城主が住んだ、または政務をとった屋敷のあったところ、事実上の「本丸」であった一帯です(実際、「本丸」と呼ばれていたようです)。

広場からは一段高い位置になります。こちらは広場とはまた全然違った、静かな庭園になっていました。
 


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