ヨーロッパ南天天文台(ESO)のVery Large Telescope (VLT)の観測によって、今から約123億年の昔の宇宙でも、水素分子が存在することが判明しました。これは、これまでで最も遠方での水素分子の検出となります。
123億年前の宇宙とは、宇宙が誕生後約14億年、つまり現在の宇宙年齢の10パーセント程度の若い宇宙です。このような昔の宇宙で、ガスがどんな状態でだったか、を明らかにすることによって、初期宇宙の銀河の中でどのように星形成が起こったのかを理解するための重要なヒントが得られます。とりわけ、分子ガスは星形成と直接結びつくガスなので、特に宇宙に最も豊富にある水素分子の検出が望まれていました。しかし、直接、分子の存在やその状態を観測することは困難でした。そこで、遠方のクエーサーやガンマ線バーストの残光を、一種の”灯台”として用いる方法が試されてきました。それらのスペクトルに見られるわずかな水素分子の“しるし”を探すのです。
クエーサーは遠方宇宙にある非常に明るい天体です。クエーサーと私達の間にガスがある場合、クエーサーのスペクトルを見ると、ガスの組成やガスと私達との距離に応じた波長に吸収線が現れます。吸収線を調べると、どんな物質が、どのくらいの距離に、どのくらいの量、どのような状態で分布しているかを推測できるのです。ただ、そのためには高い波長分解能の分光観測が必要で、かつクエーサーから十分に光を集めるために、大口径の望遠鏡が必要です。研究チームは、VLTを用いて、75天体を観測し、そのうちの14天体で、確実に水素分子の証拠を見つけ、その中の一つが123億光年遠方の天体だったわけです。約123億光年遠方にあるクエーサーのスペクトルを解析すると、クエーサーを取り囲んでいる銀河に付随した水素分子に由来すると考えられる吸収線が見つかりました。250個の“水素原子”に対し、今回発見された“水素分子”は約1個でした。
さらに、いくつかの重元素(ヘリウムよりも重い元素)の存在も判明しました。特に、観測された窒素を調べると、4−8倍の太陽質量の星が進化の後期段階で放出したものだと推測されました。それらの重い星が、その内部で合成した元素を星間空間に放出するまでには約2−5億年かかります。つまり、宇宙が誕生してから約14億年後のガスのなかで窒素が検出されたということは、その約2−5億年前、つまり、宇宙誕生後約9-12億年(現在の宇宙年齢の約7%)のときに、すでに星形成が起こっていたことを示しています。宇宙では非常に初期から星形成が起こっていたのです。
また、他にも非常に重要な結果が示唆されています。それは陽子と電子の質量比が時間変化しているのではないか、というお話です。陽子や電子の静止質量は、定数とされています。宇宙や自然界での物理現象を説明するために、また、宇宙を数学的に記述するために、物理学ではいわゆる“物理定数”を用います。現代の物理学では25個の基本的な物理定数を用いています。例えば、真空中の光の速度や万有引力定数もこの物理定数の仲間です。現代の物理学では、一般的に、これらの物理定数の値を“定数”として扱い、自然現象を記述し、理解しようとします。しかし、これらの物理定数は宇宙のどこでも、いつでも同じ値なのか、という疑問があることも事実です。例えば、重力と量子力学を統一的に扱う大統一理論や超ひも理論では物理定数が変化することを予測しています。ただし、その時間的な変化量は非常にわずかです。したがって、定数が時間変化しているかどうかを調べるにはずっと昔に遡って、陽子と電子の質量比を調べなければなりません。陽子と電子の質量比が変化すると、吸収線の波長も変化します。この“ずれ”の検出も試みられました。
このために、研究チームは水素分子の吸収線の波長を実験室で正確に測定しました。また、観測された吸収線の物理状態を記述するためのモデルも構築し、計算しました。そして、観測された吸収線と比較することで、波長にはずれがあると結論したのです。得られた波長のずれは、陽子と電子の質量比が約120億年前の宇宙において0.002パーセント現在の値よりも小さいことに対応していました。定数として扱われている陽子や電子の静止質量が変化している可能性を導いたわけです。
もちろん、この結果は今後の研究によって、慎重に再確認されなければなりませんが、今回の発見は、初期宇宙での星形成や銀河形成の理解が進むだけでなく、基礎物理学への重要な議論のきっかけになることが期待されるものです。今回の観測結果は、Astrophysical Journal Letters に、陽子と電子の質量比が変化しているという研究結果はPhysical Review Letters に発表されています。
2006年5月29日 国立天文台・広報室