多くの日本のアマチュア天文家を育成し、天文普及活動に尽力されました冨田弘一郎(とみたこういちろう)・元東京天文台講師が、5月22日(月)、病気のため、自宅でお亡くなりになりました。享年81歳でした。
冨田さんは大正14年に東京に生まれました。青山学院専門学校(現・青山学院大学)を卒業後、東京大学東京天文台に就職され、以来、太陽系内天体(主に彗星、流星など)と人工衛星の観測と研究に専念されました。その間、1957年にはソ連で最初に打ち上げられた人工衛星「スプートニク1号」を国内で最初に観測しました。また、1964年の冨田・ゲルバー・本田彗星の発見や、岡山天体物理観測所において一晩の観測中に4個の周期彗星を検出するなどの快挙を成し遂げています。在職中、周囲から「天体観測の鬼」と呼ばれるほど精神的にも肉体的にもエネルギッシュな面をもちつつ、仕事に対する眼差しは鋭く、頑固な面もありましたが、観測天文家の多くは彼を慕い、おおくを学びました。
冨田さんの業績として特筆すべきは、多くのアマチュア天文家の育成と広く天文普及活動に献身的な努力をされてきたことでしょう。冨田さんの天文学の話や望遠鏡の説明を直接聴いて、後に天文学者になられた方もいますし、天文雑誌や執筆活動を通じて間接的に薫陶を受けた方も多いはずです。現在の日本のアマチュア天文家の天文学への貢献度が世界的に認められているのも、冨田さんの努力に負うところが多分にあります。
元国立天文台長で、現在、総合研究大学院大学の小平桂一(こだいらけいいち)学長は「川崎市主催の東京天文台への教員研修の見学会に、ひとりだけ小学生として混ぜてもらった時に、お会いしたのがきっかけでした。その後、天文台に出入りしては、よく冨田先生の流星観測のお供をしました。観測指導は厳しかったですが、観測明けには天文台構内の芋をふかしてもらったりしたのは懐かしい思い出です。天文少年だった私の先生としてお世話になった方だけに大変残念です」とコメントされています。
冨田先生は退官後、ご自身で天文機器の開発をしたり、ご自宅の屋上に専用の望遠鏡を据付け観測を行うなど元気に天文学を楽しんでおりましたが、数年前より体調を壊され入退院を繰り返していました。
心からご冥福をお祈りいたします。
2006年5月23日 国立天文台・広報室