流星研究者の間で、「幻の流星群」と言われてきたもののひとつに、「ほうおう座流星群」があります。1956年12月5日、日本の南極観測船「宗谷」が南極へ向かっている途中、インド洋上で遭遇した流星群で、第一次南極越冬隊の隊員らにより貴重な目撃記録が残されました。一時間に500個もの明るい流星の出現は、かなり見応えのあるものだったようです。流星の放射点が、南天のほうおう座にあったため、ほうおう座流星群と呼ばれるようになりました。
不思議なことに、この流星群はそれまでまったく存在さえ知られていなかった流星群でした。母彗星も1819年に出現したブランペイン彗星ではないか、と噂されたのですが、この彗星自身もその後行方不明となっていました。さらに、1956年以降は流星の出現がほとんど見られませんでした。そのため、素性がほとんどわからない幻の流星群だったわけです。
日本人によって貴重な目撃記録が残された幻の流星群の謎を、49年ぶりに解明することに成功したのは、またしても日本人でした。国立天文台の渡部潤一(わたなべじゅんいち)助教授、日本流星研究会の佐藤幹哉(さとうみきや)さん、総合研究大学院大学博士課程の春日敏測(かすがとしひろ)さんらのグループは、2003年に発見された小惑星 2003WY25 がブランペイン彗星の軌道とほぼ一致していることから、新たに確定した軌道をもとに、この流星群の出現状況の再現を試みました。この母天体が18世紀から20世紀まで流星の元となる塵をばらまいたと仮定し、しし座流星群の大出現を見事に当てることに成功した最新のダスト・トレイル理論を駆使して計算したところ、1956年は理想的な流星雨の出現条件であったことが判明しました。なにしろ18世紀から19世紀にかけて母天体から生み出されたダスト・トレイル、すなわち流星のもととなる塵の流れが、この1956年にだけ集中して地球軌道を横切っていたのです。さらに横切っている時刻は、宗谷の出現を記録した観測時刻とぴったりでした。そして、他の年にはどのトレイルも地球にほとんど近づいていなかったのです。ここに至って幻の流星群の謎は、49年ぶりに解けたのです。
渡部助教授は、「研究がまとまった頃、我々3人一緒に当時の目撃者である中村純二(なかむらじゅんじ)東京大学名誉教授の自宅をお訪ねしました。当時の状況を子細に伺えただけでなく、われわれの最新の研究結果を、目撃された当事者にご報告できたのはなにより嬉しいことです。ただ、まだ母天体の彗星活動がいつまで続いたのかなど未解明な部分は残されていますので、引き続き研究をしていくつもりです」と述べています。
この研究結果は日本天文学会欧文報告誌に掲載されています。
2005年11月2日 国立天文台・広報室